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射界
2016年11月14日号 射界
2016年11月17日
悲しい記憶は、時がたてば多少とも薄らぐ。「時間は記憶の吸い取り紙」との表現もあるが、もちろん反論もある。むしろ忘れたいと思う気持ちに限って何かと蘇ってくるものだ。どちらが正しいか断定しがたいが、数多い体験を積み重ねて記憶の分母を拡大することで、相対的に悲しい記憶の力を弱めることはできる。
▲時間というものは相対的なものだ。未来がやって来る速さと、過去が去っていく速さは必ずしも同じでない。時はゆっくりと過ぎ、速やかに去っていく…そんな感じがぬぐい切れない。「時間は、人々の期待を集めて到来するサーカスであり、興行が終われば荷物を求めて去っていく」との言葉をアメリカの作家ベン・ヘクトは残している。サーカスの去った後には空しさしか残らないのが現実。
▲併せて、何かを契機に「その事」を思い出させてくれるのも時間である。サーカスが去った後、がらんとした空間と、束の間の熱狂ぶりが余韻として残るだけだが、時間とともに忘れていたシーンを思い出させてもくれる。これも時間の効用だ。数多くのサーカスが一挙にやってきて興行しても、人の気持ちは飽和状態で混乱するだけだが、時間は、物事に順序を与え隙間も与えてくれる。
▲ベン・ヘクトと同じアメリカの作家ウィリアム・フォークナーは「時計が止まるとき、時間は生き返る」という。時計は個性のない均質の時間を刻み続け、そこには時間が一定の速さでやってきて、一定の速さで去っていくが何の出来事もない。言うなればサーカスもなければ熱狂シーンもない。しかし、時計が止まってこそ、そこに出来事が蘇る。フォークナーの言葉は意味深である。 -
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