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射界
2017年9月25日号 射界
2017年9月22日
映画やテレビから時代劇が消えて久しい。なかでも印象深いのが「股旅もの」だ。「座頭市」シリーズや「沓掛の時次郎」に「木枯らし紋次郎」などには熱中した思い出がある。粋がって長いツマ楊枝を口にくわえて見たりした。人はなぜ、股旅ものに憧れるのか。どの作品にも共通する主人公の?孤影?に魅せられるからだ。
▲主人公の渡世人は、決まって日の当たるところで暮らしていない。輝かしさとは無縁の気ままな日々を送っている。豊かで平穏な生活に背を向け、世間に迷惑をかけまいとして静かに生きる。しかし、世間の非常識や理不尽には敢然と立ちあがって成敗する。しかも1人で。だが世の常識人からは蔑まれ、怨嗟の声を浴びる。無力な世間は、そのギャップに驚愕し、孤影に共感する。▲股旅ものファンは、股旅ものの渡世人が見せる世間の悪に立ち向かう姿に共鳴しながら、自分の歩いてきた道を振り返る。曲がりなりにも安定した暮らし、理不尽と感じながら口に出せなかった悔恨の数々、世の常識に染まって生きた不甲斐なさを反省しつつ、足取りを重ねる。今の暮らしを投げ打ってでも、「野であるが卑でない」行動に、心ひそかに共感するのが精いっぱいである。
▲今は亡きルポライターの竹中労(1991年没)を知る人は数少なくなったが、彼が残した評言は今も生き続けている。政界や芸能界の暗部に斬り込んでのリポートに共感する人は多く、著書の一つ『決定版ルポライター事始』(ちくま文庫)の一節には「人は、無力だから群れるのではない。あべこべに、群れるから無力だ」とある。今の世相を思い、この短い言葉に秘めた思いを反芻したい。
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