-
射界
2018年5月28日号 射界
2018年6月4日
「恥」についての記述は古くからある。旧訳聖書の『創世記』や古事記『黄泉の国』編に登場しているからだ。いずれも「知られては困る」秘密を見られたとか、知られたときの人間特有の感覚として紹介されている。恥には、人格そのものを問題視する特性があるだけに、世間の反応は敏感だ。
▲平均的な日常生活を送る中で人々は「表と裏」と「本音と建前」をうまく使い分けて様式化し、暗黙のルールとすることで平穏な暮らしを保つ。だが暗黙とはいえ、ルールを犯せば容赦しない。当の本人は厳しい指摘に狼狽し、正当性を主張して反撃。否定を繰り返して自尊心を守ろうと画策する。しかし所詮、整合性をなくし、やがて自滅する姿をよく見る。
▲アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは『菊と刀』の中で、わが国の文化を「恥の文化」と紹介しているが、一面で「意地の文化」とも言える。自らの正当性を主張するあまり、意地になっていきり立つ姿勢すら散見される。ここに恥と意地が表裏一体化しているようだ。不祥事で世間から糾弾される人の心中に、意地が煮えたぎっている様子を見せる。
▲夏目漱石によれば「意地を通せば窮屈」になるのが浮世。恥をさらせば名誉を重んじ、回復のために意地がうごめく。自尊心を傷つけられた人と世間に対する怒りと、自尊心回復のために挑む心が渦巻く。恥と意地が同時進行して〝意地でも根性〟を示威したくなる。実はそれが、自己主張しながら自壊の道を歩いていると気づかない…悲しい人間の本性なのだ。
この記事へのコメント
-
-
-
-
「射界」の 月別記事一覧
-
「射界」の新着記事
-
物流メルマガ