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ブログ・川﨑 依邦
経営再生物語(279)人材育成について(4)A社の事例(1)
2020年2月17日
・伸びる可能性を信じる
「うちの社員は、無能力でねえ。会社が伸びようとしても、これではアカンですわ」
中小企業の社長のセリフである。はたしてそうであろうか。人間は伸びていく芽をもっていると信じることが、人材育成の第一歩である。
・A社の身障者ドライバー
A社は社員数35人の運送業である。A社の社員は、ドライバー不足で悩んでいた。
社員と雑談していた時、「先生、実は職業安定所から電話がありまして、ドライバーの希望者がいるとのことでしたが、それが口もきけず耳も聞こえない人で、断りました」
私は、それに対して、人は会ってみないとわからないこと、人はやる気が肝心でドライバーになりたいと切望しているなら、ひょっとすると見込みがあるかもしれないこと、そして身障者を雇用することで、むしろ社内的なまとまりが得られ、社会的にも貢献するとアドバイスした。
社長は、いろいろ迷っていたが、会ってみようと決意した。面接は、身障者B君と妻そして娘がやってきた。B君は、38歳、家族で話せるのは、小学校1年の娘で、この娘が両親との間に立って手話通訳した。
B君は幼い時、畑仕事をする母親が目をはなしたすきに崖の下に転落、後頭部挫傷で聴力を失ってしまった。わずかに補聴器で断片的に言葉が聞こえても、雑音がひどいので執筆生活で、高校を卒業して会話の少ない仕事を選んできた。
次第に周囲とも打ち解けなくなり、暗い性格に見られるようになったが、同じ境遇の女性(現在の妻)と知り合い、結婚して長女が生まれた。家族のために頑張ろうと意欲が出てきた。社長は面接で覚悟を問うた。
「ドライバーの仕事は危険ですよ。将来、長距離に乗れるようになっても、3日も家に帰らないことがあるよ。それでもいいですか」
B君の妻は「覚悟しています。好きなことをしてもらうのが一番です」と答えた。この一言で社長は採用を決意した。
採用されたB君は頑張った。A社の社員もB君の教育に頑張った。B君はドライバーとしては未経験者で、ホロひとつの掛け方も知らない。言葉の通じない中で、筆談や、それこそ手取り足取りで教えていった。B君も必死でくらいついていった。
ある日のこと、ドライバーの1人が、休憩中の同僚のために缶コーヒーを買ってきて、一人ひとりに手渡した。もちろんB君にもだ。B君は泣いた。優しさに泣けてきたのだ。言葉の通じない世界で心が通ったのだ。
B君は一本立ちしていった。わずか入社後6か月で長距離運行もこなせるようになった。伸びる可能性が開花したのだ。その原動力は、本人のやる気と周囲の温かい心だ。重度のろうあ者であるB君は立派にドライバーとして成長している。(つづく)
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筆者紹介
川﨑 依邦
経営コンサルタント
早稲田大学卒業後、民間会社にて人事・経理部門を担当し、昭和58年からコンサルタント業界に入る。
63年に独立開業し、現在では『物流経営研究会』を組織。
中小企業診断士、社会保険労務士、日本物流学会正会員などの資格保有。
グループ会社に、輸送業務・人材サービス業務・物流コンサルティング業務事業を中心に事業展開する、プレジャーがある。
株式会社シーエムオー
http://www.cmo-co.com -
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