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ブログ・野口 誠一
第165回:信義守り会社を退く
2008年4月18日
私は常々、「金儲けより人儲けが大事」と説いている。人との出会いを大切にし、誠実に付き合い、人脈の輪を広げていく。人生において、それにまさる価値はない。
今回から「人儲けの達人」がたどった倒産と再起のドラマを紹介しよう。
Kさんは昭和29年、大学を卒業し、日本事務器に入社した。以来、昭和51年まで営業畑一筋に務め上げ、営業本部長となり、役員昇進を目前にしていた。が、彼はそれを持ち前の義侠心から棒に振った。
その頃、オイルショック後の不況から会社の業績がガタ落ちし、役員間が真っ二つに割れていた。
結局、社長が責任をとって辞任することになったが、熱血漢Kさんの気持ちはおさまらない。社長を尊敬していたし、大学の先輩でもあったが、何よりもクーデターまがいのやり方が許せない。
「トップがハラを切るなら、おれも切る」とばかりに、即座に会社を辞めてしまったのである。
実は、それがKさんである。情熱家にして人情家、信義に厚く人を裏切らない、面倒見がよくて筋を通す、Kさんに備わった人徳であり、人望の集まるゆえんであり、人儲けのコアでもある。
一見カッコよく、筋を通して退職したのはいいが、生活は1日も待ってはくれない。その頃、Kさんはマンションを買ったばかりで、たっぷりとローンが残っていたし、給料がまあまあだったことから、2人の娘を私立の小・中学校に通わせていた。
そこへ突然の給料ストップである。奥さんが驚き、あきれたのも無理はない。が、そこからKさんの日頃の人儲けが生き、次々に「お助けマン」が現れる。
彼がサラリーマン時代に開発したビニールバンドの梱包機を製造している会社の社長が、「うちへ来ませんか」と声をかけてくれたのである。 -
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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