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ブログ・野口 誠一
第300回:競輪と競馬場に通いつめ
2011年5月6日
やがて私は夜の帝王だけでなく、昼の帝王にまで堕落していく。会社の金を鷲づかみにしては真っ昼間から競輪場、競馬場通いである。そのいでたちもン十万円もする大島の着流しに雪駄と、経営者どころかまるで遊び人である。
その頃は、どこの競輪場へ行っても私専用の席があった。私をカネづると知っている取り巻き連が、ちゃんと用意して待っているのである。私がその席にどっかりと腰を下ろし、「タバコ」と言えば右からサッとタバコが出てくる、「火」と言えば左からサッとライターが出てきてシュボッ。まるでどこかの親分気取りである。
しかし、この「気取り」は高くついた。おだてられて馬主になり大損したこともあれば、八百長を持ちかけられたこともある。何よりも、買っても負けてもその夜は、料亭からネオン街をひと通り流さないと気がすまないのだから、手元に金など残ろうはずもない。
その頃、馬主席でよく河野一郎代議士を見かけた。彼は自分の持ち馬が出てくると、決まってその馬の単勝を「5000円」買っていた。私はそれを見て、「大臣のくせにケチな買い方をしてやがる」と、内心せせら笑ったものである。なにしろその頃の私は、1レースにン十万円も注ぎ込んでいたのだから。
しかし、ギャンブルで蔵を建てた者はいない。「経営者がギャンブルに凝りだしたら倒産必至」という。そんなことは私だって百も承知していたが、自分だけは「例外」と信じて疑わなかった。
ギャンブルは人から理性を奪う。理性を奪われた人間に、もはや常識は通用しない。私はその典型だった。キンギョが終生、自分を水のなかだとは気付かないように、非常識という水のなかを泳ぎまわっていた私も、ついに自分が「狂っている」ことに気付かなかった。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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