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ブログ・野口 誠一
第325回:息子のような若造に怒鳴られ
2011年10月31日
ある日、自分の息子のような若い社員に怒鳴られた。87kg・メタボの私は、どうも動きが鈍く映るらしい。「おっさん、何をグズグズやってんだ。そっちが片付いたらこっちだ」ときた。この「おっさん」には全身の血が逆流した。が、「何をっ、若造」とは言えない。クビになって困るのは私のほうである。黙って悔し涙を呑むしかない。
またある日、上司が昼休みに「社長の車を洗っておけ」と言う。これも怒髪天(どはつてん)を衝いた。頭のなかでは、中小企業なんてそんなもの、とわかっていても、やはり理不尽な公私混同にはハラが立つ。が、これまた拒否するわけにいかない。車を洗いながら悔し涙があふれる。「この間までは自分のほうが洗わせる側だったのに」と、社長時代の意識が鎌首をもたげ、どうしようもない。
「因果応報」とはよく言ったものである。私の播いた放蕩の「因」は、普通の人なら3日で慣れてしまう勤めなのに、2年たっても一向にその辛さから解放されない「果」となって私を苦しめた。くる日もくる日も、私は賽(さい)の河原の石積みにも似た徒労感にさいなまれながら、こきつかわれねばならなかった。
喜びのない労働は苦役に等しい。なぜ喜びがないかと言えば、私の心がいまだに病んでいたからである。不平不満はその症状と言っていい。八起会の会合では偉そうに「反省」だ「心の再起」だと言いながら、相変わらずこのていたらく。私の放蕩に振れた振子は、正常に戻りきっていなかったのである。
自分はいま、その復讐を受けているのだ、とわかっていても、それで日々の辛さ、苦しさが消えるわけではない。こんな砂を噛むような日々がいつまで続くのだろうか、と思うと、ふっとむなしさがこみ上げ、目の前が暗くなる。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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