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ブログ・野口 誠一
第389回:融資受け手形に訣別
2012年12月3日
(さて、Aさんの自振りゼロへの挑戦はどうなったか。以下つづきである)
私の自振りゼロ10年計画も、最初の5年間は鳴かず飛ばずでしたが、6年目、ようやくチャンスが訪れました。昭和60年春のある日、商工中金のY次長が飛び込みで来社しました。私は渡りに船とばかりに、Y次長に頼み込みました。
「私はいま、自振り手形を出さない経営を考えています。健全経営にしたいのです。私に2億円貸して下さい。商工中金さんが貸して下されば、メーンバンクとT銀行から1億円ずつ借り、それを合わせて4億円で手形を振り出さない経営に移行できます。どうか私に2億円を貸して下さい」
私の拝み倒しに根負けしたか、Y次長は、「今日のところはこのままで帰りますが、持ち帰って必ず検討します。後日、電話します」ということで別れましたが、それからほどなく商工中金から連絡が入りました。
「2億円の融資が決定しました。もちろん、他の2行からも1億円ずつ融資を受けるという条件でです。すぐに2行さんに相談してみて下さい」
この知らせに、私は喜び勇んで2行へ駆け込みました。当時、商工中金は半官半民でしたから、絶大な信用があります。その商工中金が2億円融資するというのですから、メーンバンクもT銀行も二つ返事でOKしてくれました。こうして私は4億円の融資を受け、手形の振り出しを一切ストップしました。昭和60年9月5日期日の手形が、当社が振り出した最後の手形です。それから今日までの25年間、当社は1枚の手形も振り出していません。
(こうしてAさんは手形に訣別し、健全経営を目指していく。が、そこへバブルがやってきた。以下次回へ)この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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