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射界
2015年11月2日号 射界
2015年11月9日
世俗的に「旅の恥はかき捨て」という。隣近所や知り合いの目を気にして普段は考えられない非常識な行動を、すぐにその場を立ち去ってしまう気軽さから旅先では平気でする…といった意味だ。観光地のバカ騒ぎやゴミの散らかしを見ると、「恥の文化」で生きた日本人としての矜持は一体、どこにいったのだろうか。
▲日本人は「恥の文化」を基本とした民族と評したのは、アメリカのルース・ベネディクト(『菊と刀』の著者)だ。恥を知らない人は、どんな破廉恥な行動にも臆することがないのだから、道徳や倫理観が全く違う者同士では常識は通じない。「恥を恥と思わなければ恥をかいたことがない」とか、「恥なきの恥、真に恥ずべし」で、「恥」とは自分自身を大切に思う心でもあるはずだ。▲しかし、「恥じる」心があり過ぎても、なさ過ぎても困る。いずれにしても人間としての深みが失われる。「恥じる」部分と「厚かましさ」や「やさしさ」が程よく調和したところに人間としての魅力がある。「恥」を忘れて「厚かましさ」がぶつかり合えば、よい人間関係は保たれず、「恥ずかしさ」だけでも人間としての魅力が薄くなって面白味に欠けるだろう。
▲たとえば、自分の行動を人に妨害されたとき、人によって反応が違う。こんなことになったのは「自分の責任ではない」と被害者意識を持つ人と、いや自分の「やり方が悪かった」と自責の念に駆られる人に分かれる。自責の念を抱く人には「恥」の感情が伴い、自らを現実に適応させようと思う。謙遜さから生まれた「恥」の心が人間関係の潤滑油になる。そんな謙虚さを常に持ち合わせたいものだ。
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