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射界
2017年9月4日号 射界
2017年8月24日
先人から語り継がれてきた教えには、何気ない言い回しにも深い意味を秘めている。「棒ほど願っても針ほど叶う」も、その一つだ。志を大きく持って懸命に努力しても、現実に得るものは僅かだからといって、大志もいだかず苦労もしないで過ごしてはいけない。せめて志だけでも大きく持って努力せよ…と教えている。
▲こんな言葉もある。「天を幕とし、地を席とせよ」だ。志を持つのであれば、できるだけ広く大きく持ちなさいとの意だが、才気あふれる若者たちの中には、本人も気づかず周囲も知らない、優れた才覚を秘めている者がいる。いつ、どのように才覚が発掘されるかが課題で、小学生に「大きくなったら、何になりたい?」と聞くと、とてつもない夢を話してくれる。それが大志の原石なのだ。▲小学生に、途方もない夢物語を聞いた多くの大人たちは、ともすれば「バカも休み休み言いなさい」と一蹴するが、大志をいだきながら夢に敗れた大人たちの現実認識が災いして否定的になる。夢想ともいえる大志を描く子どもらの言葉を、大人の薄っぺらな常識で退けるのは「酷の一語」に尽きる。せっかく成長して開花するかもしれない新芽を摘み取ってしまう。これだけは避けたい。
▲中国の文学者・魯迅(代表作に『阿Q正伝』)は、希望について「地球上の道のようなもの」と言う。「地球には、もともと道などなかった」が、そこを多くの人が歩くことによって、それが「道になった」と説くように、志をもって目的に向かって人が歩き続けることで道となり、希望や大志を叶える一助ともなる。志ある人の歩みに、少しでも役立ちたいと手を差し伸べられるなら幸いである。
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