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ブログ・川﨑 依邦
一人でも入れる労働組合がやってきた(25)不退転の決意
2011年12月9日
嵐が過ぎ去った。嵐とは労働争議のことである。A社の5人の分会員は1人となる。どうして1人となったのか。
?A社長の不退転の決意A社長は大いに悩み動揺した。労働組合結成時のことである。しかし、腹をくくった。「トコトンまで行こう」と、真正面から1人でも入れる労働組合に向き合った。「トコトンNO」で突っぱねたが、この姿勢が分会員の分裂を誘った。
A社長は同業の○○運送のB社長のことを反面教師としていた。B社長は車両30台の中堅運送会社を経営していた。有名私立大学出身で2代目である。創業30年の名門会社の後継者であるが、B社長の会社にも1人でも入れる労働組合がやって来た。分会員は10人である。B社長はどうしたか。
一言でいうと、逃げまどい、妥協に次ぐ妥協を重ねた。ついには分会を結成して5年後、会社をたたむ羽目となった。B社長は団体交渉には一切出ない。「なぜ出てこない」と、いくら労働組合に迫られても一切出ない。実際、組合が結成されて3か月は会社にも出てこなかった。組合の言いなりで、時間外手当の未払金○千万円を払った。それ以後も、団体交渉において組合要求に屈し続けた。
見る間に人件費負担が膨れてくる。10人だった分会員が15人、20人と増え続けてくる。分会員は何かというと「金」ばかり要求してくる。配車の言うことも聞かなくなる。「きつい配車をしている」「こんな仕事はできない」と、文句ばかり言ってくる。
B社長が自ら団体交渉に出る必要はないが、担当者に任せきりで何もしなかった。担当者はB社長から「揉めるな!」と言われていたので、揉めないためには妥協を重ねるしかなかったのである。
名門会社は急速に、働かないドライバーで占められてくる。かくして会社は潰れた。B社長が経営のやる気を失ったのである。組合の要求に応えるために会社の資産(土地)を切り売りしてきたが、ついに白旗を掲げたわけである。
「あのようにはなりたくない」と、A社長は腹をくくった。確かに嵐は、来るべくしてやって来た。A社長としても内心は、「もう終わり」と何回も覚悟を決めた。ところが分会員が分裂した。一般的には、会社と組合が激突すると必ず分会は分裂する。組合員の中に温度差があるからである。
「トコトンまで行こう」という組合員と、「こんなはずではない」という組合員に分裂するのだ。
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筆者紹介
川﨑 依邦
経営コンサルタント
早稲田大学卒業後、民間会社にて人事・経理部門を担当し、昭和58年からコンサルタント業界に入る。
63年に独立開業し、現在では『物流経営研究会』を組織。
中小企業診断士、社会保険労務士、日本物流学会正会員などの資格保有。
グループ会社に、輸送業務・人材サービス業務・物流コンサルティング業務事業を中心に事業展開する、プレジャーがある。
株式会社シーエムオー
http://www.cmo-co.com -
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