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  • ブログ・川﨑 依邦

    経営再生物語(171)居場所を作る〈事例A〉

    2017年9月28日

     
     
     

    〈ワーカホリックのB氏〉


    B氏はA社創業メンバーの1人である。A社は現社長を含め、3人でスタートした。車両3台からの出発である。業種は運送業。創業してから20年、今では車両台数200台の中堅企業となっている。B氏の役職は所長。年齢50歳。独身。母親と一緒に生活している。よく働く。

     1日のスケジュールは朝3時30分起床、4時には物流拠点(営業所)へ出社する。農産物の仕分けをして朝7時までに配送先に運ぶ。1日に動かす車は60台。昼ごろまで物流拠点で仕事をして本社へ行く。本社での仕事は、車両管理(車の点検、整備など)、配車管理などである。

     帰社時間は普通で19時、1日で15時間労働ということになる。トラブルが発生すると家に帰れず、そのまま会社に泊まることもある。帰宅後はすぐ風呂に入り、それから食事。食事から始めると風呂に入れないという。そのまま寝てしまうからである。平均睡眠時間は5?6時間。

     ワーカホリックという言葉がある。働き中毒という意味である。B氏はワーカホリックとしかいいようがない。そのうえ1年365日のうち、正月の2日間のみが休日という。1か月ぶっ通しで働く日々が続く。

     B氏いわく。「社長は『たまには休め』と言われます。でも性分ですね。仕事が気になって家にいると落ち着かないのです」

     働くことが人生のすべてである。そのうえ、将来の希望は「土地を買って家を建てること」。母と2人きりの生活で、家には寝に帰り、食事するだけ。給料も高給というほどではない。20年間働いていまだ借家暮らしの状況である。酒も飲まない。なぜそこまでして働くのか。

     「3人でスタートした頃はもっと働きましたよ。家に帰る時間がなく、社長の家で下宿していたようなものです。社長の奥さんに食事を作ってもらいました。社長もハンドルを握って働き抜いていました。いつ寝るのかというぐらいの日々でした。奥さんが配車から経理まですべて1人で切り盛りしていました。それから20年、月日の流れは早いです」

     B氏は経営者ではない。役員ですらない。酷使されているように映る。過労死しても不思議ではない。なぜそこまで働くのか。つくづく考え込まされる。創業の頃の苦労を懐かしそうに話す。1日たりとも休んだことがないという。「体が丈夫」ということである。

     はた目には、あまりに働き過ぎて女性とのつき合いすらなかったようにみえる。独身であるのも当然である。

     平均1日15時間、年間休日2日の男に家庭生活のにおいはない。結婚どころではない。

     「僕には働くしか生き方を選べないのです。この仕事しかないのです。社長と一緒にやっていくだけなのです」

     普通の人はもっといい暮らしがしたいとか、もっと給料を稼ぎたいとか、いい食事をしたいという欲がある。B氏にはそれが感じられない。まず風呂から入らないと夜の食事ができない生活、疲れ切っている日々。何が楽しいのか。給料も社長と比べると天地の差。

     「あほらしい、何でこんなことを続けているのか、バカみたい」と思う瞬間はないのか。いっぺんもないという。後10年もすれば定年、それまで体が続くのだろうか。B氏の生き方はナゾである。生きることの重さといったことを考えさせられる、このような社員がいれば経営者にとっては不気味ではあるまいか。

           
                      (つづく)

     
     
     
     
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  • 筆者紹介

    川﨑 依邦

    経営コンサルタント
    早稲田大学卒業後、民間会社にて人事・経理部門を担当し、昭和58年からコンサルタント業界に入る。
    63年に独立開業し、現在では『物流経営研究会』を組織。
    中小企業診断士、社会保険労務士、日本物流学会正会員などの資格保有。
    グループ会社に、輸送業務・人材サービス業務・物流コンサルティング業務事業を中心に事業展開する、プレジャーがある。

    株式会社シーエムオー
    http://www.cmo-co.com

     
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