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ブログ・野口 誠一
第126回:再起の群像 「『怪物』となって甦ったUさん」
2007年4月1日
Uさんは、1度死んだと言っていい。
母の姿が、声が夢に出てこなければ、本当に死んでいたはずである。
しかしその後、Uさんは「怪物」となって甦った。
駅の掲示板でシーリング作業員募集の広告を見つけ、年齢オーバー、技術なし、経験なしのハンデを「技術は必ずマスターしますから」と熱意で押しきり、見習いとして採用された。
が、やがてUさんは、仲間から「怪物」と呼ばれるようになる。
朝4時に起きて自分で弁当をつくり、6時には出社して仕事を始め、夜は9時、10時まで働いてもケロリとしていたからである。
Uさんの体力と頑張りは筋金入りと言っていい。母の苦しい家計を助けるためとはいえ、中学を出るやすぐさま炭坑に潜り、イワシ漁船に乗り込み、危険だが収入の多い仕事に従事した。さらに自分でもコツコツと金を蓄えていった。向学心やみがたく、いつの日かきっと大学に入る…その思いからであった。
やがてUさんは働きながら夜間高校に通いはじめ、そして念願の大学へ入り、ついに夢を実現した。が、そのときUさんは30歳になっていた。卒業後、大手鉄鋼会社に就職し、持ち前の頑張りと真面目さで、またたく間に30人の部下を持つ課長にまで昇進したが、思うところあって脱サラし、段ボール製造会社を立ち上げたのである。
そんなUさんがシーリング技術をマスターするのに、それほど時はかからなかった。
3年後には社内きっての腕利きとなり、顧客指名にもあずかるようになっていく。
給料もウナギのぼりに上がり、5年後Uさんは再び新居を構えた。
その新居にピアノがあったことは言うまでもない。
やがてUさんは部下の若い技術者たちに促されて独立、シーリング加工の新会社を設立した。2度目の経営である。
そしていま、Uさんの経営は順風満帆である。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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