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ブログ・野口 誠一
第204回:手際の良さが招いた不幸
2009年1月23日
大学を卒業したSさんは、大手自動車メーカー系列の大型自動車販売会社へ就職した。が、厳しいノルマと数字に追われる毎日に耐えきれず、2年で会社を辞めた。
再就職したのは山形県のホテルである。3年半のアルバイトでホテルの仕事内容はわかっていたし、サービス業は彼の性にも合っていた。Sさんは宴会のセールスを担当し、ホテルマン人生の覚悟を固め、結婚もした。が、5年目に転機がやってきた。
農協が経営する宴会場に、宴会セールスの腕を見込まれ、ヘッドハンティングされたのである。Sさんはそこに「課長」として3年、また転機が訪れた。今度は遠縁にあたる男が、「小さいがシティーホテルをオープンする。支配人として手伝ってくれ」という。Sさんは1も2もなく引き受けたが、そのホテルは1年後に倒産を余儀なくされる。
原因の第1は、資本の3分の2を投下していた商社が倒産したことである。しかし、それがなかったとしても、破たんは免れなかったかもしれない。部屋数が少ない上に回転率も悪く、いっこうに売り上げが伸びなかったからである。
そのことはSさんもよくわかっていただけに、倒産のショックはそれほどなかったが、その後始末がすべて自分の肩にのしかかってきたのには驚いた。
というのも2度の不渡りを出したあと、経営者が持病を理由にさっさと入院してしまい、Sさんが支配人という立場上、倒産処理にあたらざるを得なかったからである。が、その間もホテルは営業しており、本来の業務に加え、従業員への給与工面などもあった。が、Sさんはそこを見事に乗り切り、経営者と債権者の板ばさみになりつつも、債権者への返済など一連の処理を手際よく捌いた。
その手際が次の不幸を招く。「人間万事塞翁が馬」である。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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