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ブログ・野口 誠一
第297回:ぬいぐるみの対米輸出で急成長
2010年12月10日
今回から私自身のことを書く。私は昭和5年生まれだから、当年とって79歳になる。わが人生ながら、その長きには驚きを禁じ得ない。当然ながら山あり谷ありであった。いや、それ以上であったかもしれない。明治維新をくぐり抜けた福沢諭吉は、江戸と明治の両時代を生きたことを、「一生にして二世を経るが如し」と言ったが、私もその感が深い。一世は経営者としての足かけ22年間、もう一世は八起会会長としての足かけ31年間である。まずは経営者としての「一世」を振り返ってみたい。
私が玩具の製造会社を立ち上げたのは昭和31年、25歳のときである。玩具といってもイヌ、ネコ、クマなどの単純な縫いぐるみの類で、とくに技術を要するものではなかった。私はそれを、大学を出て2年間ほど、義兄の会社を手伝いながらマスターし、独立したのである。スタートは私と家内と2人の従業員の計4人、月々の売り上げはせいぜい150万円程度にすぎなかった。
それが5年後、年商1億円にハネ上がった。この大化けはアメリカのおかげである。輸出が絶好調で、製造する片っ端からアメリカが丸呑みにしてくれたのである。アメリカ人は手先が不器用なのか、4〜5インチぐらいの小さい縫いぐるみとなるとまるでお手上げ。そこに目をつけた私は、国内市場には目もくれず、対米輸出一本やりで押しまくった。
そしてさらに5年後、日本は東京オリンピックへ向けて高度成長のまっただなか。私の年商も倍々で伸び、創業わずか10年にして年商12億円を達成した。つれて工場も千葉、茨城、埼玉へと展開し、下請けの数7社、従業員百余名の規模にまで業容を拡大した。このとき、私はまだ30代半ばの若造にすぎなかったが、いっぱしの「経営者」気取りだった。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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