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ブログ・川﨑 依邦
経営再生物語(215)親分肌のリーダー〈事例A〉
2018年10月1日
〈通じぬトップの思い〉
ここ2か年、トップは必死になって後継体制をつくろうとしてきたわけだ。そのためには、人材。社内で育成するといっても、現場出身者ばかり。創業時代はトップ自ら地下足袋履いて陣頭指揮の日々。「よく人が集められましたね」と問うと、トップは言う。
「そりゃあ大変でしたね。大阪・西成へ行って人をかき集めて、トラックに乗せて必死でやりましたよ。メシも家で食べさせてね。そのころは、生まれたばかりの子を抱えて、家内が賄い婦ですよ。まあ飯場みたいなもんでしたよ。チンピラもいましてね。夜中にたたき起こされたことも、しばしばでしたね。チンピラがケンカして、他人を刺したとか、そういったことですよ。身元引き受け人になったりもしましたよ」
かくして、徐々にトラックも増えていき、1人、2人と人も増えて200人の陣容となる。
ここ2か年ばかりは後継体制の組織づくりということで、意識して現場には足を踏み入れないようにしてきた。「オレが行くと、人が育たない。ここは辛抱だ」。その代わり早朝6時過ぎには本社に出社して、メールを使って朝のあいさつを各現場に流してきた。
「親の心子は知らず」ということである。大企業からの人材採用は、現場出身者にないノウハウの活用である。
「そうでもしないと、果たして会社の組織がつくれるか。オレがいなくなっても大丈夫といえるか」
トップの思いである。
反乱軍は、ここのところが分かっていない。
「会議すら、まともにやろうとはしないではないか。忙しい、忙しいと言って、会議すらできないではないか」
「給料が安いとは何を言っているか。10万円の賃上げ要求とは正気か。そんな要求して世間で通るとでも思っているのか」
回答期限が近付いてくる。トップは緊急の幹部会を招集する。10人の幹部が集まる。
◎コミュニケーションが本物でなかった。
この事態の原因の最たるものは、本社とのコミュニケーション不足である。形式的な血の通わない本社指示の連続が、こうした事態を招いてしまった。彼らの気持ちをよくつかんでいなかった。
◎回答は、ゼロ回答である。
10万円の賃上げは「ノー」である。全員辞めてもやむを得ない。その代わり、モヌケのカラとなった営業所の業務は、残ったわれわれで一致団結して乗り越えていこう。
以上の2つを確認した。トップは腹を決めた。「よし、オレがいく。今まで現場に足を向けてこなかったが、オレがいく。オレがいってトコトン話し合ってくる」。丸3日間、連日夜11時、12時まで話し合った。回答はノーであるが、彼らの思いをトコトン聞いた。
(つづく)
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筆者紹介
川﨑 依邦
経営コンサルタント
早稲田大学卒業後、民間会社にて人事・経理部門を担当し、昭和58年からコンサルタント業界に入る。
63年に独立開業し、現在では『物流経営研究会』を組織。
中小企業診断士、社会保険労務士、日本物流学会正会員などの資格保有。
グループ会社に、輸送業務・人材サービス業務・物流コンサルティング業務事業を中心に事業展開する、プレジャーがある。
株式会社シーエムオー
http://www.cmo-co.com -
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