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  • ブログ・野口 誠一

    第306回:歌を忘れたカナリア

    2011年6月16日

     
     
     

     私は昭和31年に創業し、52年に倒産するまで足かけ22年間、社長の座にあった。が、言葉通り「座にあった」にすぎない。経営者らしき真似事をしたのは創業時の5年間と、倒産が眼前にチラつきはじめた最後の2年間ぐらいのものである。残りの正味15年間は恥ずかしながら、これまで述べてきたように、放蕩三昧に明け暮れた生活だった。


     私は倒産に至る要素をすべて備えた社長だったが、22年間も継続できたのは、ただただ「悪運が強かったから」としか言いようがない。しかし、やはり来るべきものは来る。私の悪運もようやく尽きようとしていた。
     日本の経済力の上昇カーブと、アメリカの下降カーブが徐々に接近しつつあった昭和45年頃、その後に延々と続く日米摩擦のトップを切って、まず繊維問題がクローズアップされた。いわゆる日米繊維交渉である。そして46年ドル・ショック、48年オイル・ショックと続き、50年代に入るや、対米繊維輸出に急ブレーキがかかった。
     私のイヌ、ネコ、クマなどのぬいぐるみも、結局は繊維である。その輸出がピタッと止まってしまった。対米輸出一本槍できた私は、文字通り「ドル箱」を失ったのである。
     倒産には必ず予兆がある。その予兆を的確に捉え、備え、勝ち残っていくのが経営者の使命である。私の倒産は、日米繊維交渉という「黄信号」が点ってから7年後、「糸(繊維)を売って縄(沖縄)を買った」日米政府間協定という「赤信号」が点滅してから5年後のことだった。
     これだけの予兆と5─7年の猶予があれば、体勢の立て直しは可能だったはずである。輸出から国内への転換も、あるいは事業そのものの転換も可能だったはずである。しかし、私にはそれができなかった。すっかり歌を忘れたカナリアになっていたのである。

     
     
     
     
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  • 筆者紹介

    野口 誠一

    八起会 会長
    株式会社ノグチプランニング 代表取締役

    昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
    昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
    しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
    翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
    弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
    再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
    昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
    平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。

    電話番号:03-3835-9510(倒産110番)
    HP:http://yaoki.html.xdomain.jp/

     
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