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ブログ・野口 誠一
第377回:人生の岐路、ブラジルへ
2012年9月10日
(Aさんが仕事と学業の両立を目指したのは、次の理由による)
――私は父が35歳のときの子です。私が中学を卒業した時点で、父は50歳になっていました。平均寿命が延びたいまなら、どうということもありませんが、同級生の父親たちが若いのを見るにつけ、私は焦りました。このままのんびりと高校へ通っていたら、それだけ一本立ちが遅くなる、いまのうちに父から仕事を教えてもらわなくては、という焦りでした。はっきりと自覚していたわけではありませんが、なんとなく父の家業を継ぐのだろうと思っていたようです。そこで日中は父を手伝い、夜は定時制で学ぶ道を選んだのです。そして3年が過ぎた18歳半ばで、また人生の岐路に立たされました。
結論から先に言えば、昭和31年2月、私は家業も学業も、両親も妹も、この日本さえも捨て、横浜港からオランダの貨客船チサダネ号に乗り、ブラジルへ向かったのです。なぜブラジルへ行くことになったのかと言えば、そこには私の持病がからんでいます。私は生後1年のときに百日咳をこじらせ、以後、小児ぜんそくに苦しめられました。それは変声期を過ぎても治らず、たびたび発作が起きました。私の記憶では、運動会に参加できたのは小学校の2年、4年、6年の3回だけ。中学校でも3年の1回だけでした。
ぜんそくは、死ぬかと思うほど苦しいのです。この持病にずいぶん苦しめられました。そんなとき、かかりつけの医者に、「ぜんそくには転地療養がいい」と言われ、私は矢も楯もたまらず転地療養を考えました。そして、どうせなら日本の外へ出てしまえ、と覚悟を決めたのです。
(ブラジルへ渡ったAさんを何が待っていたか。それは次回に)この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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