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    丸全昭和運輸 浅井社長 使命感と責任感で現場牽引(上) 

    2015年7月2日

     
     
     

     創業から84年を迎える丸全昭和運輸の6代目社長を務める浅井俊之氏。愛知県一宮市出身で、愛知大学法経学部を卒業後、同社に入社し中部支店長、関西支店長を経て東京事務所、横浜本社を渡り歩いた経歴を持つ。浅井氏が運輸業界を志したのは国鉄職員だった父の影響があった。「〝父親の仕事〟というのは、やはり憧れるもの」と浅井氏は語る。
     浅井氏が入社した昭和43年は、同社が初めて関東地区以外での新卒者採用を行った年でもある。路線事業を開始するなど、同社が艀(はしけ)回漕業者から総合物流企業へと脱皮を図った時期で、関西や中部などに新拠点を開設していた。浅井氏は地元の中部支店配属となり、平成13年の関西支店長就任まで30年以上、同支店で勤務した。
     最初の転機は入社6年が経過した昭和49年のこと。現場の所長となり、初めて部下を預かる身となった。28歳の時のことだ。入社6年での管理職登用は当時では最短で、「体が大きかったから目立っていたのかもしれません」と笑う。


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     中部支店長時代の忘れられない思い出の一つに「東海豪雨」がある。平成12年9月、連休に沸く東海地方を記録的な豪雨が襲った。愛知、三重、岐阜県を中心に甚大な被害をもたらし、同社の倉庫も70センチの床上浸水という大きな被害を受けた。浸水によって紙袋などの水に弱い貨物を中心に、2000坪の倉庫の大半で「はい」が倒壊してしまった。しかし、同社の対応は迅速だった。復旧のために全国の営業所から作業員が集結した。1日あたり100人、延べ300人近い作業員と通常の10倍の数のフォークリフトを投入し、3日間の連休が終わるまでには再び出荷ができる状態へ復旧することに成功した。浅井氏は現場の最高責任者として指揮にあたった。近隣の倉庫で連休明けに復旧していたのは同社だけだった。
     現在は、緊急災害時の事業継続について対策を立てている企業は少なくないが、当時は緊急時対策のマニュアル整備も今ほど整っていなかった。まさにBCPの先駆けといえる。浅井氏は「丸全昭和運輸の強みは現場力にある」と強調する。創業当時の艀荷役の時代から、「どんなにきつい仕事でも音を上げず、指定された期日には必ず作業を終わらせる」という強い使命感と責任感を持って仕事に取り組み、顧客の信頼を獲得していった。その精神は、現在も脈々と受け継がれている。
    ◎関連リンク→ 丸全昭和運輸株式会社

     
     
     
     
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