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運送会社
フェニックスソリューションズ 安東優介社長「何度でも不死鳥のように蘇る」
2019年6月14日
フェニックスソリューションズ(福岡市)の安東優介社長が運送事業を始めたのは、今から約8年前のことだ。
「昔からある仕事というのは、形は変われどなくなることはない」。それが起業の最大のポイントだった。
それまでは様々な業種で経験を積んできた。経験というと聞こえはいいが、挫折の繰り返しだった。
大学卒業後、保険営業の仕事に就いた。実力主義の世界だったが徐々に頭角を現し、福岡でトップセールスになった。稼いでは散財する日々。向上心も志も失っていた。ある日知人に誘われて参加した勉強会がきっかけで、人生を見つめ直す。
25歳で外資系能力開発会社に転職。完全歩合制での営業職となった。そこでも手腕を発揮し、世界88か国に6万人の営業がいる同社で、3度も世界大賞に輝いた。そして独立。代理店を開業し、スタッフもそろえた。
だが、自分が出来ることを他人も同じように出来るとは限らない。稼げない部下がついに倒れた。医者にの診断は「栄養失調」。成功を疑わず突き進んできた彼に突き付けられた現実。方向転換せざるを得なかった。完全歩合制に向かない社員のために、法人向けOA機器の販売事業を始める。しかし不景気の煽りを受け取引先が倒産。数千万円が回収不能になり、負債を抱えた。自信も失い廃業を決意する。一人きりになって塞ぎ込む日々を過ごす中、先輩に食事に誘われた。そこに転機があった。
先輩の知人が広島で行列の出来るたい焼き屋をしていると知り、すぐさま弟子入りした。
「負債を抱えた過去があったから、その場で現金がもらえる仕事なら間違いないと思った」と安東社長。ノウハウを学んで福岡に帰り、小さな店を構える。
「連日行列ができるようになった。これで安泰だと思った」
しかし開業から1年が経った頃、ビル建設のため立ち退きを命じられた。何とか移転先を見つけたが、定着し始めた頃にまた立ち退き。次の移転場所では売り上げを挽回するため焼き鳥屋を併設した。だが、その店舗に設置した中古冷蔵庫がショートして出火。たい焼き屋もろとも火事で焼け落ちた。
「少し前から、そろそろ積み上げられる仕事をしたいと思っていた」と安東社長。折しも「家電配送の仕事がある」と友人が運送の仕事の話を持ってきていた。他店に炎症することなく自分の2店舗のみが全焼したのを見て、啓示のようにも思えた。そして運送事業を開始する。
まさに炎の中から蘇る不死鳥のように、安東社長は立ち上がる。何度でも。そして今、自社の社員はもちろん出会う人々と共に一度きりの人生を豊かなものにするために、日本全国を飛び回る。
◎関連リンク→ 株式会社フェニックスソリューションズ
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