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    「挑戦の姿勢」で飛躍 東上通運

    2009年12月3日

     
     
     

     東上通運(鈴木美孝社長、埼玉県川越市)は昭和18年4月に設立。戦前や戦時中の輸送は、貨車が大きな役割を果たしていた。そのため、各駅にはそれぞれ小さな運送店が店を構え、駅を拠点に貨物の集配を行っていた。
     いわゆる通運業だが、その後、戦後の国策として企業合同が実施された。各駅にあった運送店が集約され、新たに通運業者が誕生。東上通運もそうした中で産声をあげた。


     モータリゼーションの発達で、輸送は貨車よりもトラックが主流になってきた昭和40年代、同社が拠点としていた東武鉄道が一方的に貨車を廃止してしまった。これにより同社は、到着する荷物をすべて失うという損失を被った。
     大幅な荷物減と業務縮小を余儀なくされ、通運から一般貨物へとチェンジしていく。その一方で、リスク分散を図るため事業の多角化に着手。タクシーとビル経営である。こうした取り組みは、高度経済成長の中で順調に推移し、同社は完全に息を吹き返した。
    1203toujo.jpg 鈴木孝明専務によると、本社を置く川越と東松山の2拠点を軸に、当時は穀物をメーンに営業展開を図っていたという。その後、穀物から自動車部品、印刷物から雑貨、さらに同社にとってもっとも成長性を宿した海上コンテナまで、輸送品目を増やしていった。
     「うちは仕事を断らないという姿勢が社内に浸透していた」と鈴木専務が指摘するように、引っ越しの荷物から、大きくはミサイルまで運んでいた。「何でも運ぶので、同じ車両が1台もないくらい、多種多様な車両があった」と同専務は振り返るが、その後、貨物あるいは車両に汎用性がもたらされたこともあり、自然と集約されて特殊な車両はなくなっていったという。
     車両の変化とともに、意識も変化してきた。鈴木専務は、「昔は親方日の丸で、運んでやっているという意識が少なからずあった」と振り返る。しかし、「それをしていれば、おのずと仕事は逃げていく。今は社内にそうした考えを持つ者は、ほとんどいなくなった」という。
     東上通運という社名から、時には一目置かれる存在のときもあるというが、そうした機会はかなり減った。むしろ、「サービスや価格がものをいうシビアな時代だ」とし、「顧客にとって会社の歴史が戦力にならなくなってきている」と危機感を募らせる。
     さらに、国内輸送量が減少傾向にあり、人口が減って消費も期待できない中、同社は国際物流に活路を見いだそうとしている。同社にとって国際物流は海上コンテナ輸送を指すが、参入して10年経過する海コン輸送において、今ある倉庫をデポとして活用。新たに事業拡大を視野に入れているという。
     グループの売り上げは60億円に達するが、「売り上げではなく、利益率を重視していく」と話す同専務。「必要な仕事に必要な台数というように無駄を省き、当たり前のことを当たり前に行う。業務効率化と仕事の集約を図っていきたい」と話している。

    ◎関連リンク→ 東上通運株式会社

     
     
     
     

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