-
射界
2017年8月28日号 射界
2017年8月24日
人は誰でも「幸せ」になりたいと望む。いつの時代にも「幸福論」本が人気を呼ぶことでも理解できる。物足りて食べることも着飾ることにも不自由しない現代でも、真面目に今以上の「幸せ」を求めて人々は「幸福論」本に走る。時代によって異なる「幸せ」の指標を探しているのだ。しかし、指標は人によって異なる。
▲戦後、食糧不足の時代には、お腹いっぱい食べ物を詰め込むことに「幸せ」を感じ、やがて国民総中流意識になれば、ささやかな「幸せ」をかみしめ、リーマン・ショックを経て超デフレ時代を迎えれば、格差時代の到来を嘆く。そして老後の安定に「幸せ」を願いながら、吹き荒れる格差社会の現実を恨むのが世の流れとなって翻弄される。自分の「幸せ」指標を見定めることなく過ごす。▲一体、「幸せ」とは何なのか。あれだけ「幸福論」本が出版されながら、明確に答えを提示した人はいない。胃袋の時代は胃を満たせばよかったし、国民総中流の時代は、それなりに「幸せ」感に満足してきた。モノがあふれ、おいしい食べ物に事欠かない時代を迎えてもなお、人々は「幸せ」を探し求める。そこにはモノによって満たされない「心の飢え」がある。
▲「心の飢え」は深刻である。かつて経験したことのない異質の犯罪が起き、趣味・嗜好や風俗に?どぎつさ?が溢れて、子どもから大人までガツガツして「心の飢え」を満たそうとする。「心の飢え」を満たすには、おかしげなイデオロギーは要らない。健全な民主主義による自由と社会正義が貫かれる社会の実現を願うばかりだ。世の中の偏向は望まない。慌てることなく、ゆっくりと、落ち着いた世間を願うだけだ。
-
-
-
-
「射界」の 月別記事一覧
-
「射界」の新着記事
-
物流メルマガ