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    「緊張感ピークに」 懸命に物資届ける運転者の姿

    2011年4月14日

     
     
     

    tsunami_0411.jpg 有史以来まれに見る大災害。各避難所や物資の集積場所には、トラックドライバーが救援物資を今日も届けている。しかし、いまだに被害の全貌が見渡せない災害の前に、その活躍はかすみがちだ。一人のドライバーの運行記録を通して、危険な現場に向かうトラックの姿に、いま一度想像力を働かせたい。



     「断水のせいで、水泳用のプールの水を飲んでいる」。マグニチュード9.0の巨大地震発生から5日後の3月16日。「西宮カーゴ」(前山和道社長、兵庫県西宮市)で、神戸営業所長を務める津波隆司さんは、そんな話を西宮市の担当者から聞かされた。

     救援物資輸送の依頼のため、同市職員が同社を訪れていた。救援物資は4トン車2台分の飲料水。それは決まっていたが、行き先の調整まで数日かかった。

     通常は、30人ほどのドライバーの運行管理業務などに就く津波さん。他のドライバーは決まった業務に就いているため穴をあけることができない。津波さんと、神戸営業所の同僚のもう一人が任に当たることが決まった。

     16年前の阪神大震災。津波さんも当時の被災者の一人。15人ほどが避難した神戸市内の公園で、ケースごとパンやおにぎりを見ず知らずの人に分けてもらった。「あのときの恩返し」。事情を話した妻からは、「頑張っておにぎり作るね」の言葉が返ってきた。

     数日後、行き先は福島県いわき市に決定。「福島第一原子力発電所」から直線距離で約40キロメートルの位置にある。会社や同僚の「気をつけて」の声に送られた。

     水を積んだ西宮市内の飲料メーカーのデポでは、「お世話になります」と市の職員に任を託された。「震災支援」と書いたプラスチック製の標板を、トラックの前と横の計3か所に着け、23日午後2時半、名神高速西宮インターに向かった。

     名神・東名と経て、静岡県までの光景は何ら日常と変わらなかった。変化は神奈川県から。各サービスエリアの給油所に並ぶ車の列。「緊急車両のみ給油可能」「一般車両は20リットルまで」などと書かれた張り紙や、並ぶ車の多さに驚いた。

     首都高を抜けて常磐道へ。ここから並走車も対向車も、ガクンと量が減る。トラックもほとんど通っていない。会社からは「いまどこや。大丈夫か」と何度も連絡が入った。

     深夜になり、茨城県内のSAで4時間ほど仮眠をとった。翌24日午前5時ごろ、大きな地震で目が覚めた。もう1台の同僚と「かなり揺れたな」と無事を確認し合った。同時に、この辺りから緊張感が増してきた。

     トラックを再び北に向かわせる。道のジョイント部分が地震で隆起し、時速80キロ以上は出せない。目的地のいわき市まで残り50キロメートルの日立市あたりで高速を降りた。料金所のおじさんが「震災支援」の標板を見て、頭を下げて「ありがとう」。

     一般道には、これまでになかった異様な光景が。車の給油渋滞は相変わらずだが、道を歩く人の姿がほとんどなかった。給油渋滞を抜けるのに、20キロメートルの距離を3時間かけて進んだ。

     いわき市に入った。福島第一原発の40キロ圏ということが頭のどこかにあった。緊張感がピークに近づく。同市中心部にある競輪場が物資の下ろし場所で、10人ほどの職員が迎えてくれた。

     競輪場はベニヤのような板で仕切られており、水の積み下ろし場所以外の場所はほとんど見渡せなかった。水を下ろし、帰る津波さんらは、「ありがとうございました」と深々とした礼を職員から受けた。返す言葉など見つからない思いで、「大変ですけど頑張ってください」と礼をした。

     24日正午に下ろし終わり、帰途の高速道路で昼食にしようとすると、「飲料水から放射性物質が検出された」というニュースが流れていた。昼食を食べ終わり、「早く落ち着いた生活を」と祈りながらSAを後にした。(西口訓生)

     
     
     
     
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