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    震災が残した教訓と試練 三八五流通 泉山元社長

    2013年3月11日

     
     
     

     2年前の3月11日、東日本一帯を襲った自然災害と事故。その爪痕は深い。しかし、三陸地方ではそれまでにも何度も大きな地震が発生しており、その経験から3・11でも冷静に自らの仕事の使命を果たすため、三八五流通(青森県八戸市)とグループの社員たちは力を尽くした。グループの総帥・泉山元社長が当時を振り返った。



     同社は昭和22年に創業。資本金7億8000万円、従業員約2000人、約80事業所、グループ会社39社。グループを率いるのは2代目社長の泉山元氏。青森、岩手、宮城、福島の4県は主力物流拠点で被災地となったが、「人的被害は1人。非番で自分の船の様子を見に行ったまま行方不明に。直接の社員ではこの1人以外、全員無事だった」。

     地震発生時、社長室にいた泉山社長は「三陸地震の方が大きく感じた。3・11の時は室内の壊れ物を床に下ろす余裕もあり、社員らも冷静だった」と話す。「地震の後には津波が来る。昔から言われていた教訓。海間際の施設もあったが?すぐ高い場所に行け?と各現場で指示し行動させていた」。

     しかし、3・11は周囲の被害が余りに大きかった。社員の中には自宅が被害を受けている人もいたが、「車も施設も残った。まだ働ける」と翌日には自主的に全員が出勤。早いところは震災翌日から動き始めた。燃料も各営業所に自家タンクを埋めており、計算上では3分の2程度ずつ残っているはずだった。4、5日後には電気が回復し、ネット上の社内掲示板を利用して各拠点の燃料残量情報を確認しながら活動。この一帯は酪農が主産で飼料コンビナートもあるが、通常の飼料輸送ルートは断絶。秋田港からのルートで自社施設を使い飼料を運び、鶏や牛、豚は飢え死にせずに済んだ。米や卵不足の東京には逆に東北から荷物を運び、グループのバス会社は原燃の事故の際、技術スタッフと機材を積んでいち早く運んだ。

     「必要な時すぐに対応できたのは自社のネットワークが機能したこと。社員一人ひとりが役割を守り、強い使命感を持って行動してくれた」とし、「社是の?人の輪?意識を社員が発揮し、不便な中でもアイデアを出し合い、よく頑張ってくれた」と語った。

     海外からいち早く支援に駆けつけてくれたのがモンゴル。震災発生6日後にはモンゴル緊急援助隊12人が極寒の被災地に到着。多くの物資と義援金も寄付された。

     昨年9月、日本貨物鉄道相談役の伊藤直彦氏が団長を務める、モンゴル外交関係樹立40周年記念訪問団がモンゴルのツァヒャー・エルベグドルジ大統領を表敬訪問した。その際、泉山社長も同行し、大統領に直接感謝の意を述べた。「何年後かにもう一度ゆっくり訪問したい国」と語る。(小澤 裕)

     
     
     
     
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