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射界
2018年3月26日号 射界
2018年4月20日
この100年、夜の闇と共に日本が失ったのは「光と影(翳)」を味わう豊かな感性と美意識ではなかろうか。照明に電気が使われ、明るさを求める余り「光と影」の部分が曖昧になり、照明も白熱から蛍光、LEDへと進化したが、光量に満足しない人は光の質とエコ化に走った。これも時の流れ。
▲生活に必要な光は、常に量的効果を求めて「影」の部分をなくす工夫に専念し、煌々と輝かせて照度を競った。オイル・ショックもなんのその、大都市の繁華街にネオンの輝きを取り戻した。それも回生への一歩としながらも、昔から日本人の心に宿る〝陰翳(いんし)〟という美意識が薄れたのも否めない。作家の谷崎潤一郎は『陰翳礼賛』の中で憂いている。
▲電気のない時代、歌舞伎は蝋燭(ろうそく)の火で演じられた。歌舞伎役者の化粧は顔が白塗り、隈取りは色濃くし、蝋燭の光をうまく使って際立たせた。その伝統は今に受け継がれて観客の目を楽しませている。日本は幸いに陽光に恵まれ、紙障子を通して注ぐ穏やかな光を楽しみ、今様に言えば光のグラデーションを楽しんだ。「光と影」の見事な演出だ。
▲確かに、光度の効果は生活の場を広げてくれた。明るさを求めて隅々まで照らして活用されてきた。そのために谷崎の『陰翳』という美意識すら忘れさせたところがある。春から各地のテーマパークは夜の営業を始める。当然、イルミネーションは光り輝き観客を誘う。煌びやかな光の半面に「翳」があるのも思い出してもらい、相応の価値を見いだして欲しい。
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