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ブログ・野口 誠一
第145回:バブルに溺れた経営(2)
2007年11月7日
やがてバブルがはじけた。
が、Fさんはその重大性に気付かなかった。
世の中が騒然となってもまだピンとこなかった。
それは、Fさんの経営感覚が鈍いからではない。
不況に突入すると、一時的にではあるが、Fさんの受注が増えるからである。
多くの会社が次々にテナント料の安いビル、オフィスに移転していくなかで、原状復帰工事(テナントが出ていくときのリフォーム工事)が増えるからである。
このことが禍いし、Fさんの業績はガタッと落ちるのではなく、先月は悪かったが今月は持ち直したという具合に、一進一退を繰り返しながらジワジワと、真綿で首を絞められるように落ちていった。
それだけに気持ちのふんぎりがつかず、抜本的な対策も立てられぬまま、徐々に苦境へ追い込まれてゆく。
しかし、平成5年頃になると、さすがにバブル崩壊の爪あとがはっきりしてきた。
どこの会社も景気が悪く、内装どころではない。
また、新築もリフォームも急速に冷え込み、受注はガタ落ち、工事量も激減した。
そして始まったのが業者間のサバイバル戦争である。
小さくなる一方のパイを奪い合うために、値引き競争、コスト競争が始まったのである。
しかし、それは当然ながら薄利受注、ヘタをすれば採算割れ受注へつながっていく。
さすがに危機感をつのらせたFさんは、打開策として営業部門と工事部門を切り離し、営業部門を別会社としてスタッフを充実、受注活動に専念させた。
しかし、バブル不況は泥沼の状態で、すでにどうこうなる段階をすぎていた。
こうなると諸経費、とくに人件費が重く経営にのしかかる。
Fさんの資金繰りは日に日に苦しくなっていった。
毎日のように銀行へ足を運ぶが、いっこうに埒が明かない。すでに銀行の貸し渋りが始まっていたのである。
(つづく)
2007年11月07日 -
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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