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ブログ・野口 誠一
第380回:大恩人とシェア争い
2012年10月1日
(24歳の若さで父親の家業を継ぎ、注射針製造に乗り出したAさんの経営は、その後どうなったか。以下、Aさんの体験発表である)
──いよいよ新工場の稼働です。私は事務所の裏側に自分専用の寝室をつくり、そこへベッドを置き、寝泊まりしました。寝食を忘れて、とまでは言いませんが、それに近い覚悟で経営に当たりました。その甲斐あって、業績は順調すぎるほど順調に伸び、1年目から大幅な黒字を計上することができました。
しかし、業績が伸びれば伸びるほど、私はある種のジレンマに陥りました。注射針の市場は限られています。私の会社がシェアを伸ばせば、それは同業他社のシェアを落とすことになります。それは市場競争ですから当然のことですが、私の場合はいささか事情が異なります。先ほども申しましたように、私は病気の父の跡を継ぐに当たって、同業他社の某社長に「注射針用のパイプの作り方」を教えてもらいました。ところが、その社長の会社と最大のライバル関係になってしまったのです。
私は悩みました。通常、企業秘密ともいうべきパイプ技術を教えてくれる経営者など、どこにもいません。しかし、その社長は二つ返事で教えてくれました。私にとっては師匠であり、大恩人です。その恩人を向こうにまわしてシェア争いすることは、多大な精神的苦痛を伴いました。悩んだ末、私は注射針用のパイプ製造からの撤退を決断しました。
幹部に諮ったところ、案の定反対されました。むろん、従業員も大反対です。儲かっている事業から撤退するのですから当然です。しかし、私の決意は変わりません。とすれば、次なる展開を考えなければなりません。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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