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ブログ・野口 誠一
第384回:思惑外れて赤字続き
2012年10月29日
(台湾進出を果たし、さあこれからと意気込んだAさんだったが、残念ながらそこが経営の曲がり角となってしまった)
──私の思惑は外れ、台湾法人の経営は最初からうまくいきませんでした。毎月、1000万円近い赤字がつづきました。しかし、撤退するわけにもいきません。両親の反対、幹部や社員の反対を押し切り、鳴り物入りで進出したのですから私にもメンツがあります。しかし、そのメンツ代が毎月1000万円ではどうにもなりません。それが日本本社の経営に響くのは時間の問題でしたが、その前に思いもかけない事態が発生しました。
私の強引な経営手法に対する不満からか、台湾の赤字タレ流しの経営手腕に対する不安からか、日本本社の営業部員8人中5人、工場幹部12人中7人の合わせて12人が、集団退職を申し出て会社を辞めていきました。「火事になる家からネズミが逃げ出す」と言いますが、それだったのかもしれません。会社が危ない…と、なんとなくニオイでわかったのでしょう。当時は全社員120人でしたが、そのうちの1割の12人、しかも要職にある社員ばかりでしたから、これはかなりこたえました。
悪いときには悪いことが重なるものです。昭和52年8月、今度は突然、労働組合が結成されてしまいました。全国組織の幹部が入り込んで指導する本格的な労組です。そこから15年間、私と労組との闘争が続きますが、それはのちほどまとめてお話しするとして、台湾の赤字、有能社員の集団退職、労組結成と重なり、私の経営はつるべ落としさながらに悪化していきました。
(その頃からAさんは資金繰りに追われる日々がつづく。そして赤字と借金だけが増えていく)この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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