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ブログ・野口 誠一
第378回:目の回る忙しさ
2012年9月17日
(ブラジル行きを決意・決行したAさんのその後はいかに。発表を聴こう)
――苦しいぜんそくの発作から解放されるなら、何もかも捨ててかまわないと、そこまで思い詰めた私は、ブラジルへの転地療養を敢行しました。といっても旅費は自己負担、身分は農業移民です。私を受け入れてくれる先はシノダ養鶏場でした。チサダネ号に乗って横浜を出港、香港、シンガポール、ケープタウンを経て、60日間の船旅でサントス港に着きました。シノダ養鶏場はサンパウロから80kmも離れた田舎町・イタクァケセッツーバの奥にありました。
いよいよブラジル生活の始まりです。仕事は5000羽のニワトリの世話です。飼料をつくるための畑仕事、飼料の配合、餌やり、採卵と、日の出から日没まで働きました。なにしろ働き手は主人のSさん、使用人が男1人に女1人、そして私の4人だけですから、目の回るような忙しさです。戸惑ったのは、ブラジルでは1日2食だったことです。午前と午後にコーヒーとフランスパンのおやつはありますが、基本的には昼食と夕食の2回だけです。私はぜんそく持ちでしたから、もともと50kgくらいの体重でしたが、たちまち45kgになってしまいました。
しかし人間万事塞翁が馬です。何が幸いするかわかりません。私はすっかり健康体になり、ぜんそくの発作もなくなりました。こうして3年たったところでブラジルの永住権を取得し、次なる展開を考えはじめました。しかし、夢はブラジルを離れ、日に日にアメリカへ飛んでいきます。アメリカはチャンスの国であり、アメリカン・ドリームの国です。そうだ、アメリカへ行こう、と決心したところへ3度目の岐路がやってきました。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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