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    最上運輸 最上光男社長 「息子に背中を見せる毎日」

    2015年9月30日

     
     
     

     【埼玉】最上運輸(最上光男社長、所沢市)は、デパートの陳列什器の配送をメーンに手掛けて40年。昭和50年に限定免許を受けて最上晴雄氏が創業して現在に至るまで、主要荷主との変わらぬ関係を守ってきた。
     いま、同社を率いるのは2代目の最上光男社長だ。同社長が入社したのは高卒後すぐで、今から30年前。当時の同社を率いていたのは、母親で現会長の翼枝氏だった。「創業から数年で父親が他界して、子ども3人抱えた母親が会社を引き継いでいた」という。当時、同社長はまだ12歳だった。


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     親族の支えもあり、会社は荷主とともに成長していった。同社長も、高校生になるとアルバイトで家業を手伝った。「入社したときには、兄を含めて親族が6人ほどいたこともあり、まさか自分が次の社長になるとは思ってもいなかった」と言う。気がつけば、運行管理や配車などの重要な業務を任されるようになっていった。
     28歳の時には、荷主の新拠点の立ち上げのため船橋へと赴く。ラック倉庫の走りだったという同拠点で、荷主とともに運営体制を構築。「落ち着くまでには3年はかかった」と振り返り、不眠不休で働いた日々を懐かしむ。「経営者としての仕事を練習していたようなもの」と言い、「当時はつらかったが、今となってはいい経験だった」と笑う。
     船橋の拠点は、その後、別の物流会社に引き継がれ、同社長は37歳で本社に戻った。10年越しで戻ってきた同社長を迎えたのは、社員だけではなかった。10代の頃から付き合いのあった地元の先輩経営者が、自身が所属する業界団体に同社長を招いたのだった。
     「これがきっかけで、ト協の青年部会に顔を出すようになった」といい、「経営者としての様々な知恵を、部会の活動を通じて知ることができた」と話す。父親を早くに亡くした同社長にとって、心強い兄たちができたようなものだった。
     一方、社内では「仕事に対する考え方の違いから、ベテラン社員に辞めてもらったこともあった」と、苦渋の決断を経て、徐々に理想の形へと体制を整えていった。3年前には長男が入社し、「実務経験を積んでいる最中」という。
     「亡くなる4、5か月前に、家族で旅行に行ったのをよく覚えている。ワカサギ釣りを一緒にした」と、父親との思い出を振り返る同社長。今は自身が父として、息子にその背中を見せている。
    ◎関連リンク→ 有限会社最上運輸

     
     
     
     
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