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ホームロジスティクス 柳川新社長インタビュー「3つの課題に取り組む」(前編)
2020年7月28日
ニトリホールディングス(似鳥昭雄会長、白井俊之社長、東京本部=東京都北区)のグループ会社で、ニトリの物流を支えているホームロジスティクス(同区)。5月21日付でホームロジスティクスの社長に就任した柳川弘之氏は「3つの課題に取り組んでいきたい」と抱負を掲げている。成長を続ける同社の課題とは何か、その課題にどのように取り組んでいくのか、柳川新社長にインタビューを行った。
─物流に関する知識と経験をかなり積まれているようですが、社長に就任されるまでの経歴をお聞かせください。
店舗が北海道だけにしかなく、まだ18店舗くらいだった1988年、ニトリに入社しました。入社後1年間は札幌DCに勤務しました。そこは、ラストワンマイルの家具の配送もやっているセンターで、ドライバーの助手として配達業も行っていました。
それから1年後の90年に北海道の帯広店に着任し、そこから所属した店舗運営部での仕事がスタート。ニトリが関東に出店し始めた頃、私も副店長として千葉桜木店に異動、8か月後には店長として高崎店を任されて、それから石川県や福岡県でトータル5年くらい店長を経験しました。2001年にエリアマネージャーを経験した後、03年に物流部に配属されました。宅配マネージャーを経験したあと、全国に約50か所あった配送センターの統括マネジメントを任され、札幌から東京に本部が移転することになった時には、業務マネージャーとして物流部本部の組織づくりを行いました。
続いて、会社全体の商品品質を上げるための部署としてCSC(カスタマーサービスセンター)を立ち上げ、09年には海外初出店のプロジェクトに携わることになりました。海外1号店が台湾の高雄に決まると同時に、物流も必要になるため、現地で物流機能の構築をゼロから進めました。
─国内と海外とでは勝手が違ったのでは。
台湾は当時、家具の納品・配送技術の品質があまり良くなく、それが普通の感覚だったようです。我々は日本の企業なので、日本と同じ納品品質で提供したいと考えました。ですが、もともと配送文化が違う現地の業者にお願いするのは簡単なことではありませんでした。
そこで、現地スタッフに日本へ来てもらい、日本の納品技術を学んでもらいました。今では台湾のお店も31店舗となり、それまでなかった家具の納品品質を定着させることもできたのではないかと自負しております。
その後、日本に戻ってから、輸送部を立ち上げました。それまで輸送部という部署がなく、運賃交渉などは各DCで行っていましたが、本部側でコントロールすることにしたのです。
それから一度、札幌の本社に異動することになり、本社の館長として約3年マネージャーを務めたあと、東京に戻ってからは、商品部のデリバリーというサプライヤーに商品を発注する業務を経験しました。そこでの経験は非常に勉強になりました。
─31年間、ニトリグループでご活躍されていますが、その中でも商品部での業務が最も勉強になったのはなぜですか。
物流しか知らなかった時は、物流目線でしか考えなかったことが、商品部の発注目線で見ることで、発注側にも色々な制約条件があることがわかりました。これにより全体を見ながら物流の効率化を考えられるようになったので、非常に勉強になったと思っています。
─商品部から物流部に戻られるまで、さらに大きなプロジェクトに携わっているようですが、どのような事をされていたのですか。
ニトリホールディングスの基幹システムの刷新を行うという話が出て、そのプロジェクトに携わりました。続いて、グローバル供給チームのマネージャーを務めた後、ホームロジスティクスに戻り、営業本部のゼネラルマネージャーを任されました。当時、DCや営業所、CSCがそれぞれの組織が機能別に分かれていたのですが、私の時に一つの組織にまとめました。
物流のマルチ人材の育成に苦労していたことが組織を一つにした理由で、改善や改革を行っていくためにも必要なことだったのです。次に、国内の物流拠点を編成するためつくられた新たな組織の物流拠点企画室に異動したあと、社長に就任しました。(つづく)
◎関連リンク→ 株式会社ニトリホールディングス
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