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物流ニュース
南日本運輸倉庫 大園社長「10年後に1000億円企業へ」
2020年8月24日
ボストンバッグ一つで鹿児島から上京し、食品物流に携わり、保有車両900台超、従業員2400人、年商350億円の企業「南日本運輸倉庫(東京都中野区)」を築き上げた大園博史氏(現会長)を父に持ち、2代目として、同社をけん引する大園圭一郎社長。偉大な父親の背中を見ながら育った大園社長は、平成26年に社長に就任すると、会社の課題を見つけ、いち早く手を打つなど、経営者としての手腕を発揮してきた。そんな同社長がいま描くのは、10年後に年商1000億円企業にすることだ。
同社長の根底にあるのが、学生をはじめ、若い人たち、そして広く一般の人たちに、「面白いことをやっている会社だなと興味を持ってもらえる会社」にすることだが、そこにはグループで2500名近い従業員、1000台近いトラックという大所帯を背負う気負いは感じられず、あくまで自然体の同社長の姿がある。「必要であれば上場も考える」と話す同社長、偉大な父を尊敬しながらも、その父を超えるべく挑戦が続いていく。
大園社長によると、「仕事から帰ってきた父親が、まだ学生だった自分の枕元にやってきて、仕事のことなどを話してくれていたのを思い出す」という。「あの時はほとんど意味がわからなかったが、その頃からしっかりと会社のことを叩き込まれていたのかなあ」と笑う同社長だが、迷うことなく同社に入社したことを考えると、博史会長から帝王学を学んでいたことがうかがえる。
ただ、社長自身、学生を終えてすぐに同社に入社するわけではない。他人の飯を食う必要性から、全く家業とは別の会社に就職する。そして修業を終えた2000年の4月、26歳の時に同社に入社する。
係長として同社でのキャリアのスタートを切った同社長は、顧客対応など、対外的な問題もあり、課長に就任、6年間現場の管理に携わる。
2006年に部長、2008年に取締役になると、その後も、2010年に常務に、そして2012年に専務に就任するなど、足元を固めながら階段を上がっていった。
役職が上がるごとに責任は重くなっていったが、博史会長の存在があることで安心して仕事に取り組めたという。
2014年に博史氏が会長に退く際に、社長に就任する。40歳になったばかりだった。
40歳で、南日本運輸倉庫という一大グループのかじ取りを担うようになったが、「組織がしっかりと出来上がっている中で、私自身はやれることをやるだけだった」と着任当時をそう振り返る。
ただ、「数字のところはしっかりと把握し、誰よりも先に、会社の情報、特に課題に関しては、一番先に知ることを心がけた」という。数字を把握すること、そして早い段階で課題を見つけ、大きな問題になる前に芽を摘む。社長として一歩一歩着実に歩んだ。
社長就任から6年が経ったいま、会社の将来について、「必要であれば上場も可能性としてはある」としながらも、「面白いことをやっている会社だなと、そう思われる会社にしたい」という。
その上で、「これからの会社を支えてくれる若い人達のためにも、やはり規模も必要」だとし、「10年後の2030年に、年商1000億円企業を目指したい」と抱負を語る。
例えば、「輸出入に物流を絡めて海外に拠点を構えれば、働く者にとっては、海外に行けるチャンスにもなる」とし、「働く人たちにわくわくしてもらえる、興味を持ってもらえる、そんな取り組みをどんどん行っていきたい」と意気込みを語る。
偉大な父親を尊敬しながらも、南日本グループのトップとして、独自のビジョンを示す同社長、2代目として同社のさらなる飛躍を目指す。◎関連リンク→ 南日本運輸倉庫株式会社
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