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物流ニュース
ジャストカーゴ 清野敏彦社長 厳しい指導で「目からウロコ」の発見
2017年8月3日
北海道を中心に住宅メーカー、住宅資材・設備メーカー、製材・材木工場などを顧客として幅広く事業を展開しているジャスト・カーゴ(石狩市)。住宅資材・設備の共同輸配送の仕組みや、住宅資材・内装材を部屋ごとに現場まで運ぶ仕組みを道内でいち早く構築するなど、物流効率化のための提案型営業を得意としている。清野敏彦社長は平成元年にドライバーとして物流業界に入り、同6年の同社立ち上げの際は創業メンバーの一人となった。その後、受注量の急減によって会社存続が危ぶまれる中で、事業を引き継ぎ、資金繰りや借金返済で大きな苦労を経験する。同社長に、これまでの足跡を語ってもらう。
平成元年に札幌市西区に本社がある運送会社の営業所に友達と面接に行き、ドライバーとして採用された。当時は20歳そこそこで、この会社の4軸低床の大型ウイング車が、ただ単純に格好良く見えた。その営業所の責任者が、後にジャスト・カーゴの創業者となる人物だった。
荷主の大手住宅メーカーは長野県松本市に工場を持っており、この配送が現地運送会社の都合でうまくいっていなかった。「手伝いに行ってこい」ということで、入社1週間程度でトラックをほとんど運転したことがない中、長野県に行くことになった。期間は3か月間で、先輩2人、新人2人で向かった。
羽田空港から電車で大宮まで行くと、なぜかここで降ろされた。大宮駅の外には先に手伝いに行き、3か月が経った先輩がトラックで乗り付けており、「これに乗って松本に行くように」と言われた。その場でトラックに乗せられて松本まで行き、アパートの1室で共同生活をしながら4トン車で運送業の仕事を本格的に始めた。
この工場の配送エリアは関東、北信越、東海と広く、月曜から土曜まで夜に走って朝に現場で荷物を下ろし、帰ってきては積み込んでまた走る、そんな生活だった。3か月が経った時、「北海道から行く人間がいないので、もう少し頑張ってくれ」と言われ、独身だったこともあり、これに応じた。その後3か月、仕事をすると今度は「そっちで本格的にやったらどうだ」となり、そのまま松本で腰を据えて働くことになった。期間は3年にものぼり、この間に正式に営業所として立ち上げた。
3年後にようやく札幌に戻ると、大型車を運転するようになり、荷主の工場移転に伴って営業所も石狩市に移転した。
同6年に営業所のトップが独立する。新会社は、これまで携わってきた住宅メーカーの仕事を継続することになったため、新会社での勤務を選択した。こうして同年にジャスト・カーゴが設立され、そのタイミングで車から降り、積み込みや配車業務を担当するようになった。
当時のジャスト・カーゴは、この住宅メーカー専属で、売上高の約95%は荷主1社に依存していた。輸送協力会社もおらず、ほぼ自社便だけ。業界内で他社との接点もなく、傭車を頼もうとしても、どこに電話していいかわからない状況だった。
同8年に常務に就任するが、「前の会社の松本営業所が立ちいかなくなった」との情報が入る。荷主からも応援の要請が来たため、責任者として松本に再度赴任する。2度目の松本では、荷主を含めて周りの人にかわいがってもらい、トヨタ生産方式をはじめ、いろいろな勉強会に連れて行ってもらった。厳しい指導を受けることもあったが、目からウロコが落ちるような発見も多かった。この時に学んだ多くのことが、効率的な物流の仕組みづくりを提案する際に大いに生きてくる。また、この時に接した多くの人にも助けてもらうことになる。この記事へのコメント
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