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射界
2018年1月15日号 射界
2018年1月19日
日頃、神前や仏様に手を合わせない人も、お正月と言えば神社やお寺に「初詣で」する。にわかに信仰心が沸いてきたのでなく、古くからの慣習に従って参拝し、家内安全を祈願する。信仰心からというより新年行事の一つになっているが、それによって自らを納得させているのが初詣でといえる。
▲一方、わが国には「苦しいときの神頼み」という言葉がある通り、何か困難にぶつかり、災難が降りかかってくると慌てて神に助けを求める。実に勝手な振る舞いだが、この季節、進学を求めて多くの受験生が合格を祈願して絵馬を捧げ、手を合わせるのを見かける。これも「神頼み」の姿だ。時代相を表す風景であるが、受験生は真剣である。
▲さる心理学者の解説によると、受験生にしてみれば神にお願いしたから「これでよしッ! 大丈夫」と自己暗示にかかって落ち着くという効果は期待できるのでムダではないと説く。〝人窮すれば天を呼ぶ〟というが、神様に祈っただけで手をこまぬいていてはいけない。ロシアには「お祈りを唱えても櫂(かい)の手は休めるな」と教えている。当然のことであろう。
▲嵐に遭って身の安全を神に祈るのはよいが、舟を漕ぐ櫂の手は緩めてはならない。懸命に漕がなければ港に舟を着けられない。いざという場合、頼りになるのは自分の力であることを忘れてはならない。努力を怠り、なお神に助けを求める…これでは神様も助けの手を差し伸べるのを憚る。自らの努力なしでは失敗するだけだ。
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