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物流ニュース
神明倉庫 藤尾社長 「時代に合った職場環境へ」
2015年9月16日
神戸港を拠点に倉庫業を中心としたトータルロジスティクスを手掛ける神明倉庫(神戸市中央区)。藤尾憲弘社長に、「大変だった」という同社のこれまでの歩みと、今後の事業展開について聞いた。
藤尾社長は平成19年、38歳の時に父親から社長を引き継いだが、「当時は会社が多くの有利子負債を抱えていた」という。「同族会社からの分離や資産価値の下落により銀行の負債が与信を上回った」と同社長。さらに、「阪神淡路大震災後の影響もあったが、当時は借入過多の現実と向き合わず、会社を大きくしようとし過ぎた」と振り返る。
当時はバブル崩壊後の低成長期で、物流効率化に取り組む大企業顧客から、神戸にしか倉庫が立地していないという理由で「片っ端から切られ、売り上げも落ち込んだ」。
「銀行の融資姿勢も悪化し、月末に運転資金を借り入れて何とかやりくりして、翌月にまた借り入れる…という自転車操業で、当時は財務以外に目を向ける余裕がなかった」。このままではいけないと、考えに考え抜いた結果、「負債を減らすしかない。そのためには、恥も外聞も捨てて会社を小さくしよう」という結論に至った。
「総資産を小さくするために、資産を売却して今までの負債を減らす。高度経済成長時の手法は全く役に立たない、デフレの時ならむしろ今までと逆のコトをすれば」と動いた結果、土地を売却するタイミングが、ちょうどリーマン・ショックの前だった幸運もあり高値で売れ、当時の負債を4割減らせた。
しかしそれでも、まだ経営はラクにはならなかった。「平成17年から始めた介護付き有料老人ホーム事業で想定外の苦戦を強いられた」。30年の事業計画をスタートさせたが、スタッフの人件費や施設の改修費用がかさみ、何より年間の入居者数が想定通りにいかなかった。
「このままでは資金がショートして底をつく」と、入居者との契約を履行するには有料老人ホーム事業を譲渡するしかないという結論に至り、3年程かけて譲渡先を探して、今から3年前に経営譲渡した。その土地等資産の売却益をさらに負債の返済に充てた。
今は、負債がピーク時より7割減った。「総資産は4分の1程度になったが、自己資本比率が上がって、この先やっていけるところまできた」。負債が膨らむ前の平成3年度の財務諸表を目標に取り組んできたが、ほぼそれに近付いたという。
「平成12年から同24年までの12年間、当社はリストラの歴史だった。そのような中でも、全従業員の雇用を守ることが出来た」
同社長は30歳の時に倉青協に入会し、平成13年6月から2年間、一度目の副会長を務めたが「倉青協の先輩方や仲間からのアドバイスがとても参考になった。地域や会社ごとに色々な経営の手法があることを知り勉強になった」と感謝の気持ちを忘れない。
今後の基幹事業として、倉庫業以外に派遣事業を始めた。「東日本大震災直後、『物流拠点を探しているが見つからない。何とかして欲しい』という案件が増えた。特に賃貸のニーズが多く、対応するために倉庫事業で使用をしていた部分を賃貸事業に変えていった」。すると「人が余ってしまった」。一方、「賃借を頂いているお客様側からは『人が集まらず困っている』との相談を受けた。では、ウチの従業員を」というのが派遣事業の始まりだった。
しかし、派遣事業の収入だけでは従業員の給料と比較して赤字になってしまう。そこで考え方を変えた。賃貸収入との合算と元の倉庫事業の収入とを比較した時に、賃貸プラス派遣事業のほうが収入は安定する。
そうして特定派遣事業を取得して、「今は7人の従業員に賃借を頂いているお客様の所へ行ってもらっている。私も過去に出向を経験しているが、他社の空気に触れて学ぶことも多く、取引先のニーズも勉強になる」。また、お客様とのつながりが強まり、「従業員は荷役作業のプロだから、フォークリフトの作業や流通加工などは従来から行っており、『この技術のスタッフを派遣の料金で雇えるなんて』と非常に喜ばれている」。いずれ特定を外して、派遣業としてもっと伸ばしていきたいとする。
今年で創業68年の同社。現在47歳の同社長は80歳で創業100周年を迎えるが、「そこまで会社が成長を続けるようにするのが私の使命。その頃には間違いなく会社には居ないので、後継者やその従業員がその目標を達成出来るように、いかに働きやすく、時代に合った職場環境にするかが現在の私の努め。社長だけの力では限界があって、幾多の困難も従業員に助けられた」。
このほど高卒の作業職出身の従業員を初めて役員にすることを決めた。「厳しい現場作業での励みに、少しでもなれば」。
◎関連リンク→ 神明倉庫株式会社この記事へのコメント
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