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ブログ・野口 誠一
第245回:過当競争に敗れて
2009年11月20日
Dさんの経営は赤字の船出となったが、その理由は2つある。1つは、すでにそのときバブルの崩壊が始まっており、気の毒ながらDさんは嵐の海へ向かって船出したと言っていい。経済環境の変化を的確に読むのも経営者の務めだが、当時は誰もそのことに気づいていなかった。それが長期デフレ不況と失われた15年を招いたことを思えば、Dさんだけを責めるわけにはいかない。
2つ目は、同じ地域に塗装業者が乱立しており、過当競争が常態化していたことである。そのことはDさんも知らないわけではなかったが、それまで仕事の途切れることがなかっただけに、気にもとめなかった。が、一人親方の自営業と職人を抱えた会社組織では、受注先も仕事の量と内容もおのずと異なる。
何よりも単価と利益率が格段に低い。そこに過当競争の厳しい現実があった。Dさんはその現実をイヤというほど思い知らされた。会社設立の前にチェックとリサーチを怠ったトガと言っていい。
そこからDさんのもがきが始まる。従業員を遊ばせておくわけにもいかず、赤字を覚悟で仕事を請け負い、みずからも土・日の休みもなく働き続けた。しかし、赤字の仕事をいくら続けたところで利益を生むはずもない。
Dさんの経営は年を追うごとに苦しくなっていく。やがて従業員の給料にも事欠くありさまとなり、毎月のように銀行から借り入れを行わなければならなくなった。
その間にもバブルの崩壊はすさまじく、受注は細る一方。銀行の貸し渋り、貸しはがしが始まり、Dさんはついに街金融にまで手を出すハメに陥っていく。やがて「手に職さえあれば食いっぱぐれなし」「稼ぐに追いつく貧乏なし」というDさんの人生哲学も、一職人には通じても、経営には通じないことを思い知らされる。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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