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ブログ・野口 誠一
第302回:放蕩地獄が末期症状に…
2011年5月20日
あわれと言うべきか、自業自得と言うべきか、私のはまった放蕩地獄は「呑む」「打つ」「買う」だけにとどまらなかった。最後にもう一つ「恥」を語らなければならない。それは「芸事狂い」である。
「経営者たる者、粋な芸の一つも身につけねば……」とばかりに、私は小唄、端唄、日本舞踊、果ては歌舞伎の真似事にまでのめり込んでいった。もうすっかりどこかのお大尽気取りである。
しかも、習うだけならまだ罪はないが、やがて病膏肓(やまいこうこう)に入ると、今度はそれを人に見せたくなる、見せて拍手してもらいたくなる。こうなると、もはや道楽の域を超えて、完全にビョーキである。
しかし、本人はビョーキどころか、免許皆伝の「芸」と信じて疑わないのだから、東横ホールや墨田劇場を借り切っての「発表会」となっていく。たかが素人芸に1日ン百万円もするプロ向けのホール、シアターの借り切りである。とてもじゃないが狂気の沙汰としか言いようがない。
ところが、演じる本人はいたって正気である。客の入りが気になってしょうがない。しかし、客といっても、その実態は義理と取り巻きで半分、その日に振る舞う酒と弁当で半分なのだからお笑い種である。そこまでしてド素人の三文芝居を見てもらいたい、拍手してもらいたいというのだから、救いようがない性と言っていい。
私はそこまで落ちた。が、心が病むとは恐ろしいもの、私は落ちれば落ちるほど高揚していたのだから、あわれなものである。
俗に「病みつき」と言うが、私のビョーキはどれをとっても深刻なものだった。が、本人にはまるで自覚症状がない。それどころか「経営者は人間の幅を広げなくては……」と信じて疑わなかった。いよいよ末期症状である。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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