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ブログ・野口 誠一
第333回:忘れられない処女講演
2011年12月26日
私はそのときの処女講演のことを、今でも忘れられない。というより、出だしの一言一句までよく憶えている。その出だしはこうだった。
「先ほど来て控え室におりましたら、ときどき野口先生という声がする。私は自分と同じ名前の先生がいらっしゃるものとばかり思っていたら、どうやら野口先生とは私のことらしい。これにはいささか面喰った。実は、ここだけの話ですが、私は先生でも何でもないんです。人一倍勉強したわけでも、国家資格があるわけでもない。唯一、思い当たるライセンスといえば、会社を潰したことと、そういう仲間が集まって、近頃はサルでもするというハンセイ! をやっているにすぎないんです。どんなにひいき目に見ても、倒産が国家資格になるとは思えない。ゆえに、私は反面教師であっても先生ではない。ただ、野口反面先生では舌をかんでしまうので、反面を省略したのだろうと思います…」
こう切り出したとたん、会場が沸いた。が、講演を盛り上げようというテクニックではない。それは私のホンネだった。私のような失敗者からでも話を聴き反面教師にしよう、経営に役立てようという人が一人でもいれば、私はすすんで失敗例も話すし、恥もかく。ましてそれが倒産を防ぎ、倒産が必然的に招く夜逃げ、自殺、一家心中などを食い止めることにつながるならば、こんなうれしいことはない。
この処女講演以来、ときどき講演依頼が舞い込むようになったが、私はそれを一度も講演と思ったことはない。倒産駆け込み寺の住職にとって、それは倒産の悲劇・悲惨を一つでも多く防ぐための辻説法であり、「倒産防止」という八起精神にのっとった活動の一部であり、八起会はこの托鉢によって救われたと言っていい。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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