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ブログ・野口 誠一
第175回:バブル崩壊の余波
2008年6月27日
Kさんを襲った2つ目の「まさか」も、思わぬ方向から飛んできた。
長年、同業として助け合い、協力し合ってきた友人が、Kさんに何の予告もなしに、いきなり自己破産してしまったのである。
1年ばかり前、Kさんはその友人が国民金融公庫から融資を受ける際、連帯保証人になっていた。かつて、自分も保証人になってもらったことがあり、断れなかったのである。
しかし、予告もなしにいきなりというのは、長年の友情と信頼に対する裏切りと言っていい。が、Kさんはすべてを自分の甘さ、不運と受け止め、自宅を売却して国民金融公庫へ代位弁済した。しかし、本当の苦境がやってきたのはその後である。
自宅を失い、担保能力を失った経営者など、どこの金融機関も相手にしてくれない。Kさんは、たちまち資金繰りに窮していく。
そこへ追い討ちをかけたのが、いよいよ地方へ波及してきたバブル崩壊の余波である。日をおい月をおうごとに受注が落ちていく。やがて同業者間の価格競争が始まり、利益率も悪化していく。
とりわけ、Kさんを窮地に追い込んだのが官公庁受注の激減だった。「丁寧な仕事」が評価され、官公庁関連が売上高の4割強を占めていたからである。
こうしてKさんは日々資金繰りに追われ、ノンバンクや街金融の間を駆けずりまわり、手形を乱発して、その場その場をしのいでいく。が、しょせんそれは悪あがきというもの。長続きするはずもなかった。
やがて借金がふくらみ金利が滞り、一見してそれとわかるサングラスの一団に押しかけられ、万事休す。
弁護士に相談したところ、「一刻も早く倒産したほうがいい」とすすめられ、Kさんもまた自己破産を余儀なくされた。平成6年のことである。 -
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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