-
ブログ・野口 誠一
第202回:工場経営の復活
2009年1月2日
その後、Tさんは私の紹介した弁護士を通じて整理に入り、結局「破産」ということで一件落着した。解約した保険金はもとより、自宅も工場もすべて失ったTさんは、家族ともども近くのアパートに引っ越した。
中2の娘と小5の息子が転校を嫌ったからである。Tさんは以前に取引のあった鉄工所に勤め、奥さんは風呂屋の清掃パートに出て生活を支えた。
そんな夫婦が折りにふれて、「頑張っています」と近況を報告してくる。私はそれが何よりもうれしかった。
そもそもTさんの倒産は、大量の不渡りをつかまされたことにある。それも、メーンバンクから受け入れた経理担当役員の不正によってである。
Tさんの工場は石油ストーブや農機具などの部品を扱っていたが、やがて自動車部品も扱うようになり、急速に規模と人員が膨らんだ。
そこで経理部門を強化すべく、メーンバンクから人材を受け入れたのだが、その男が食わせ者だった。
その男ははじめこそおとなしかったが、やがて他社の手形を持ち込み、「支援」の名のもとに会社の金を流用するようになっていく。が、その手形はきっちり決済され、問題が表面化することはなかった。
そして1年後、その男の姿が消えたとき、他社の手形は3000万円にのぼっていた。その男は潰れそうな会社の手形を買いたたき、それを経理に持ち込んでいたのである。気付いたときはすでに後の祭り、Tさんはあえなく倒産を余儀なくされた。
倒産して2年後、Tさんに転機が訪れた。その地域は金属加工や鉄工所が多く、どうしても金属プレスは欠かせない。
その地元の総意と支援のもと、Tさんは再び工場経営に乗り出した。目下、業績は順調である。そのTさんの最近の手紙に「生きていて本当によかった」とあった。 -
-
-
-
筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
「ブログ・野口 誠一」の 月別記事一覧
-
「ブログ・野口 誠一」の新着記事
-
物流メルマガ