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ブログ・野口 誠一
第212回:社長をつくる
2009年3月20日
ご多分にもれず倒産後、Dさんも無為と無気力、孤独と絶望に苦しめられた。八起会を訪ねてきたのは、そんなときである。
彼はすぐに入会し、それからというものは1度の欠席もなく、八起会の例会や勉強会に出席し続けた。再起道場の優等生と言っていい。
「1人で悩んだり、くよくよしていた自分が恥ずかしくなるくらい、私以上の悲惨、辛酸をなめながら、それでも頑張っている仲間がいることに、本当に勇気づけられました。私も『何のこれしき、もうひと踏ん張りもふた踏ん張りもしなくちゃ』という気持ちにさせられました」とは、Dさんの述懐である。そこから彼の再起がはじまっていく。が、その方向がほかの例といささか異なる。
プロ野球選手では「名選手、必ずしも名監督ならず」と言う。Dさんも同様である。企画マン、営業マンとしては抜群の資質とセンスを持っているが、それだけで経営者になれるとは限らない。倒産をきっかけにDさんは、そのことを思い知った。とすれば、方向転換せざるを得ない。企画マンのDさんは、自分が社長に返り咲くことよりも「社長をつくること」を企画した。それが娘婿である。
Dさんは自分の半生をかけたDブランドを娘婿に譲り、彼の工場の顧問となり、長年培った技術、ノウハウ、情報をすべてバトンタッチしていく。倒産は経営上の失敗であって、それはDブランドのせいではない。Dブランドには可能性も将来性も十分にある。Dさんの確信はゆるがない。
こうして社長をつくり、経営から解放されたDさんは、セールスの虫の赴くまま、今日はあっちの催事場、明日はこっちのダイレクトセールと、喜々として飛び回っている。そのモットーは「生涯一セールスマン」である。Dさんの例は、こうした再起の道もあることを教えている。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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