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ブログ・野口 誠一
第211回:2つの追い打ち
2009年3月13日
抜群の企画力(アイデア)と、営業力(セールス)で急成長を遂げたDさんだったが、その急成長のひずみも免れなかった。結局、組織管理が急成長に追いついていけなかったのである。
そのことが倒産につながる内部要因になったことは否めないが、そこに外部要因が追い打ちをかけたことも、倒産を早めて決定づけたといっていい。
外部要因の第1はバブル崩壊である。第2は円高とデフレである。この2つによって売り上げがパタリと止まり、中国をはじめ途上国からの輸入品によって市場が席巻された。
この不況と価格破壊はすさまじく、Dさんはたちまち息の根を止められた。それでも借金のできるうちは、まだ何とか回ったが、やがて、どこも貸してくれなくなって万事休す。
弁護士に相談したところ、「破産しかないだろう。しばらく身を隠すように」と言われ、Dさんは北海道へ逃げた。それからの半年間が無念と恐怖の日々であったことは言うまでもない。
そこへ娘の婿から電話が入った。「お父さん、逃げていてはラチがあきません。会社の方は倒産しても、お父さんの持っているブランド、技術、ノウハウ、情報まで倒産するわけではありません。それを欲しがっている人はたくさんいます。帰ってきてケリをつけてはいかがですか」。
この一言で心が決まり、Dさんは東京へ帰って破産手続きに入った。債権者およそ40社。なかには街金もあり、恐怖におののきながらも破産宣告、管財人決定、そして2年後、免責決定となった。
負債総額は2億円で、Dさんの資産(評価)は8000万円。むろん、それらはすべて債権者の配当へまわったのだが、それでも1億2000万円の迷惑をかけたことに変わりはない。そしてDさんも一文なしとなってしまった。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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