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ブログ・野口 誠一
第221回:同族経営の功罪(4)
2009年5月21日
義母トリオに経営権を握られ、金策だけの社長にされたHさんは、たまりかねたか、ある日、出入りの税理士に実情を問うた。と、彼はニヤニヤして答えないばかりか、「そんなこともわからないで社長が務まるんですか」といわんばかりの顔をする。後でわかったことだが、彼もまた義母トリオとグルだったのである。
思いあまったHさんは、取引銀行の「なんでも相談」に赴き、恥をしのんで会社の実情と自分の窮状を訴えた。ところが、それがヤブ蛇となる。担当者の態度がガラッと変わり、アドバイスどころか「融資ストップ」を宣告されてしまったのである。
以後、Hさんの綱渡りのような資金繰りが始まる。融資の道はとだえても、次々にまわってくる手形は消化していかなければならない。
Hさんは国民金融公庫、商工中金、東京都の融資、区の融資と、借りられそうなところは軒並みにかけずりまわった。しかし、そんなHさんに義母トリオは何の協力もしない。それどころか、ネズミが沈没しそうな船からいち早く逃げ出すように、次々に会社を辞めていった。
万策尽きたHさんは、八起会の顧問弁護士のもとで、会社整理に入った。平成9年のことだ。
その後、Hさんは東京を離れ、奥さんの実家・名古屋へ移り、一介の塗装職人として再出発を期した。名古屋はトヨタの企業城下町である。景気回復とともにトヨタ関連企業の仕事が増え、1人ではどうにもならない。
平成15年、Hさんは塗装会社を立ち上げた。2度目の経営である。が、今度は実権のない社長ではない。オーナー社長である。
常用7人、下請け12人の職人をかかえ、名古屋の元気を反映し、目下、Hさんの業績は順風満帆である。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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