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ブログ・野口 誠一
第224回:輸出という他力本願
2009年6月11日
Fさんは昭和40年、28歳のとき、それまで勤めていた文具問屋を辞め、東京都荒川区に文具・玩具の企画・販売会社を設立した。奥さんと2人だけの出発で、自分の企画した文具や玩具を下請けにつくってもらい、それを問屋や小売店に卸す商売だった。
細々とした立ち上げだったが、若いFさん夫婦には豪邸を建てるという夢があった。その夢に向かって、Fさん夫婦は汗まみれになって働いた。その甲斐あって、業績のほうも年々少しずつ伸びていった。
やがて僥倖が訪れる。輸出のトビラが大きく開いたのである。とりわけアメリカ向けが絶好調で、作るかたわらから売れていく。つれて業績もうなぎのぼりに飛躍していく。そうなると、下請けだけでは到底間に合わない。
Fさんは土地を買い、工場を建て、機械を導入し、人員を増やした。といって、一気の拡大ではない。慎重な性格のFさんは、設備投資も人員拡充も経営の重荷にならないように、徐々に着実に、あくまでも堅実経営に徹していく。
こうしてアメリカ市場に支えられ、Fさんは企画、製造、販売(卸・輸出)と、業態を整えながら業容を拡大していく。
そして、ついにそのときがやってきた。長年の夢だった3億円の豪邸が建ったのである。この前後の数年がFさんの経営ピークだった。年商4億円。パートを別にして正社員だけで10人。Fさんは業界の中堅どころまでのし上がった。
その最大の要因は輸出の好調である。これはFさんの営業努力によるものではない。いわば他力本願である。他力本願の怖いところは、どうしても現状認識が甘くなるところである。僥倖と言っていい輸出の好調が、いつまでも続くものと錯覚しがちなことである。そこに危機感はない。堅実経営を心がけてきたFさんも、いつしか脇が甘くなっていった。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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