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ブログ・野口 誠一
第225回:急減する売り上げ
2009年6月18日
経営環境は常に変わる。突然変わることもある。昭和60年は、まさにそういう年だった。この年のプラザ合意は、日本経済にとって実に大きなターニング・ポイントとなった。
以後、日本は何度となく急激な円高に見舞われ、そのたびに多くの輸出関連企業、それも中小・零細企業が苦境、破綻を余儀なくされていく。
Fさんもその1人。昭和の終わりから平成の初めにかけて襲った円高に直撃され、業績が急降下していく。いうまでもなく、円高は海外市場での価格競争力を低下せしめ、輸出の不振を招く。Fさんの文具・玩具も例外ではなかった。
それまでコンスタントに年商4億円をキープしていたのに、昭和63年には3億円へ、翌平成元年には1億2000万円へと、目も当てられぬほど急減した。
通常なら、これだけ落ち込めば倒産は必至であろう。売り上げが3分の1に落ちてもやっていける会社など、あろうはずがない。Fさんがその突風に耐え得たのは、堅実経営の結果として、ある程度の内部留保があったからである。
しかし、耐え得る力があるからといって、耐えていいということにはならない。耐えるのは、「ここを乗りきれば必ず回復する」という明確な見通しがある場合に限る。
しかし、Fさんは何の見通しもなく、内部留保を崩しながら、漫然と耐えたにすぎなかった。といって、そこは誰も責められない。当時、この円高は果たしておさまるのか、いつおさまるのか、おさまったとして輸出が回復するのか・・・明確な見通しを持った経営者はほとんどいなかったのだから。
Fさんとて円高→輸出不振→売り上げ急減を前に、ただ腕をこまねいていたわけではない。海外向けを国内向けでカバーすべく、もがきにもがいた。が、それがかえって傷口を広げていく。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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