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ブログ・野口 誠一
第236回:人を使う身と使われる身
2009年9月11日
毎日金づくりにひきまわされてはたまらない。逃げよう。逃げるしかない。暴力金融の車から解放された直後、Nさんはそう決心した。しかし、このまま逃げては奥さんに害が及ぶ。彼は奥さんと離婚の形をとり、落ち着いたら迎えにくると約束し、その夜のうちに東京を出た。地獄の始まりである。
倒産だけならまだしも、夜逃げとあっては、おいそれと仕事が見つかろうはずもない。数日後、ようやく横浜の中華街で店員募集の貼紙を見つけ、Nさんは一も二もなくとび込んだ。住み込みで、仕事は皿洗いなどの下働きである。
これがけっこうきつい。しかしそれよりも辛かったのは、20歳そこそこの若手店員たちに怒鳴られ、小突かれ、役立たず呼ばわりされることだった。曲がりなりにもこの間まで社長と呼ばれた身である。中央官庁と取引した身である。そこを思うとくやし涙が止まらない。ついに耐えきれなくなり、わずか3か月で逃げ出した。
倒産者が最初につまずくのがここである。人を使う身と人に使われる身では天地の開きがある。が、そこを乗り越えなければ再起はない。その後もNさんは日本料理屋の下働き、カレーショップの店員、ファストフードの店員と次々に職場を変えていく。
社長だった過去を断ち切れず、どこも長続きしなかった。3年目、大衆食堂の店員となったところでようやく落ち着いた。そして3年、爪に火をともすようにして蓄えた資金で小さな店を借り、食べもの屋を開いた。
Nさんは5年ぶりに奥さんを迎えに行った。が、奥さんは復縁する意志はないという。彼のショックは並大抵ではなかった。しかし5年もの間、連絡さえしなかったのだから無理もない。Nさんはあきらめるしかなかった。彼同様、奥さんにも理不尽な5年だったに違いない。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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