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ブログ・野口 誠一
第317回:日本経済 最大の転換点
2011年9月1日
年表で1978年(昭和53年)を見ると、次のような項目が並ぶ。
・3月の完全失業者141万人、過去20年間で最高(4月)
・不二サッシの過去5年間にわたる粉飾決算(430億円)が発覚(5月)
・佐世保重工業救済の大蔵省原案まとまる(6月)
・警視庁が「サラ金被害」の実態調査結果を発表。1─8月までの間に自殺130人、家出(夜逃げ)1502人(10月)
ざっと以上のようなあんばいだが、失業といい、自殺といい、企業不祥事といい、今日とあまり変わらないではないか。佐世保重工をJALに置き換えれば、ほぼそっくりと言っていいくらいだ。
この相似は何を意味するのだろうか。私の倒産以来、日本の社会、経済構造はそれほど変わっていないということだろうか。おそらく、そうに違いない。
戦後、日本経済の最大の転換点は、1973年(昭和48年)だったと言っていい。この年、世界はオイル・ショックに見舞われ、主要国通貨は変動相場制へ移行した。
いちばん打撃を受けたのは、原油のほぼ全量を海外に依存する日本である。それまで日本経済は、いまの中国にも勝る高度成長を十数年も続け、ようやく経済大国の入り口に立った矢先のことだった。
ここで日本経済は完全に成長の腰を折られ、以後三十余年間、バブルの数年を除いて低空飛行が続き、いまに至るも、かつての輝きを取り戻していない。とくにバブル崩壊後のこの20年は、ゼロ成長が続いたと言っても過言ではない。事実、国内総生産(GDP)はまったく増えていない。
いまにして思えば、私の倒産は日本経済の運命と同じく、その転換点で起きたと言っていい。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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