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ブログ・野口 誠一
第323回:鉛のような足をひきずり
2011年10月13日
私が新聞の求人欄で見つけて採用された会社は、都内のフィルム現像所だった。仕事の内容は客(町のDPE)から現像所へ、現像所から客へフィルムを運ぶこと。実働1日11時間、月給20万円。ごくごくありふれた、誰もがやっているような仕事である。だが、他人に使われたこともなければ、肉体労働をしたこともない五十男にとって、これは地獄の責め苦以外の何ものでもなかった。
まずは朝、出勤するとき、「行ってきます」が口から出てこないのである。倒産前は毎朝、運転手が迎えにくる車にふんぞり返って乗り、家族に「行ってらっしゃい」と見送られての「社長出勤」で、「行ってきます」などと言ったこともないのだから、門前の小僧のようにいくわけがない。
ましてホンネは勤めになど出たくないのだから、「行ってきます」どころか、「どうしてこんな朝早くから稼ぎに出なきゃならないんだ」とハラが立ってくる。「ゴルフのときだって、こんなに朝早くから出かけることはなかったのに」となさけなさが先に立つ。
それでも鉛のような足をひきずり、ようやく駅にたどり着けば着いたで、ホームは立錐の余地もない人の群れ。めまいを起こしそうになる。やがて家畜のように電車に押し込まれ、身動きどころか、自分の手足がどこにあるかさえ定かではない。これには心底、恐怖を覚えた。ラッシュを経験したことのない私にとって、こんな「人間密着」など想定の埒外と言っていい。気が狂いそうになる。
こうして会社へ着く頃は身も心もへとへとに疲れ、どうにもならない。そしてここでも、自分のほうから先に「おはようございます」が出てこない。社長時代はみんなに「おはようございます」と言われ、「ああ、おはよう」と返していたのだから、これまたどうしようもない。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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