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ブログ・野口 誠一
第324回:夜の公園であいさつの練習
2011年10月24日
一事が万事、私は「行ってきます」も「おはようございます」も、ろくに言えないばかりか、町のDPEをまわっても、お客さんに「こんにちは」「ありがとうございます」がうまく言えない。それに、私は当時もいまも87kgのメタボである。そのつもりはなくてもふんぞり返っているように見えるし、お辞儀もぎこちない。
ふつうのサラリーマンにできることが、自分にはできない。ふつうのサラリーマンに何でもないことが、自分には苦痛でしかない。これはかなりこたえる。私はいつしかノイローゼに陥ってしまった。毎日が辛い、苦しい。が、八起会の会長であり、会合のたびに「頑張りましょう」と会員を励ましている以上、泣きごとも言えないし、会社を辞めるわけにもいかない。
私が転々と職を変えたり、不平不満を言いつのったら、会員に対して示しがつかない。「なんだ、言うこととやることが違うじゃないか」となったら、八起会など一瞬にして瓦解である。どんなに辛くても苦しくても、私は「フィルム」にしがみついているしかなかった。そのことがまた私を二重に苦しめたが、その苦しみが何に由来するかはよくわかていた。長年の放蕩三昧の反動である。振子は一方に振れた分だけ逆戻りする。とはわかっていても、何とかしなければならない。
帰宅はいつも夜の9時過ぎだったが、私は空腹をこらえてアパート近くの公園に立ち寄り、毎晩のように「行ってきます」「おはようございます」「こんにちは」「ありがとうございます」の発声と、お辞儀の練習を繰り返した。到底、尋常な姿ではない。そんな私に薄気味悪そうな一瞥を投げ、アベックがベンチから立ち去ったことも1度や2度ではない。やがて挨拶はマスターしたが、反動はなおも続いた。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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