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ブログ・野口 誠一
第342回:甘さのツケに泣く
2012年2月27日
Nさんの体験発表の続きである。
──私の選択はあまりにも無謀すぎました。社長など引き受けず、そのときに会社を潰しておけば、その後の地獄のような苦しみもなかったはずです。それができなかったのは、祖父の代から続く老舗を潰しては申し訳ないという気持ちと、やはり見栄もありました。
結局、私は9億円という借金がどれだけ重いのか、わかっていなかったのです。一生懸命に働いて会社の利益を上げ、コツコツ返していけば「何とかなるはずだ」という考えしかなく、緻密な数字の裏付けがあったわけではないのです。
この甘さのツケはすぐに回ってきました。9億円のなかには、かなりきわどい借金も混じっており、それが「待ったなし」で回ってきたのです。私はやむなく3代続いた家・屋敷を3億円で売り、急場をしのぎました。幸い私たち夫婦には子どもがなかったので、2人でアパートに引っ越しました。みじめな、やりきれない気持ちでした。
しかしこれは、まだまだ悲劇の序曲にすぎませんでした。3億円は返したといっても、借金はまだ6億円も残っているのです。その金利を払うだけでも毎月700万─800万円も必要になります。その頃、会社の年商はおよそ10億円でした。粗利を3割と見積もっても、その3分の1を借金の金利に取られては、経営そのものが成り立ちません。まして借金の元本を減らしていくことなど不可能です。
私は経費をぎりぎりまで切り詰め、リストラもかけました。20人いた従業員のうち5人に事情を話し、会社を辞めてもらいました。その分、自分が汗をかけばすむと思ったのです。が、私の汗ぐらいでどうなるものではありませんでした。まだまだ甘かったようです。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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